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2006年9月の9件の記事

2006年9月26日 (火)

丸駒温泉での高校恩師の古希祝い

 先々週末北海道の丸駒温泉で、札幌北高のクラス担任だった恩師の古希のお祝いを盛大に開催して参りました。先生はまだまだお元気で、「北海道教育史」なるものを執筆し、退職校長会の事務局長を務める傍ら、野球、囲碁、そしてテーマのある夫婦旅行の三大趣味を楽しんでおられます。私のプロジェクト、全都道府県訪問と同様のテーマも、昨秋高知県訪問を最後に完了されたと伺っております。最近入れ歯が増えて来ているようですが、まだまだ大丈夫とお見受けいたしました。
 このお祝い会(兼クラス会)には21人ものクラスメートが出席しました。男性が12人、女性が9人でした。クラスには50人(男性32人、女性18人)在籍しておりましたが、残念なことに男性1人と女性1人が亡くなってしまったので、今は48人になっております。したがって、全体の出席率は44%、男性が39%で女性が53%になりました。この出席率には正直なところ驚きました。先生の人徳とクラスのみんなの気持ちの賜物だと思います。そして、幹事の皆様、いろいろな余興の準備や小冊子の作成など、真にありがとうございました。
 さて、誰が誰か分かったのでしょうか。時間の経過とともに、外観が一番変わるところが、頭髪と体重です。これが余り変わっていないクラスメートは一目で誰か判別できる訳です。そうでない場合は、しばらく話をすると、その内容から大体想像が付くものです。今回は、高校卒業以来初めて再会した人もおりましたが、誰かが分かれば、途中の何十年かは素っ飛ばして、即座にいろいろな思い出が湧き出してきて昔に戻ることができました。長時間にわたる宴会(一次会)の後、日帰り予定の3人が帰りました。そして、二次会に突入しましたが、話は尽きず丑三つ時まで寝る人はほとんどおりませんでした。
 ところで、丸駒温泉は、支笏湖の北岸にある温泉で、1915年(大正4年)Himg0006創業で90年以上Himg0005の歴史があります。特に、1967年(昭和42年)までは陸路がなく、舟が唯一の交通手段であったという、真に風情のある温泉でした。当日はとてもいい天気で、丸駒温泉から支笏湖越しに右側を観れば風不死岳(ふっぷしだけ)が望め(右側の写真)、左側を観れば紋別岳が望めました(左側の写真)。お風呂は2年前に全面改装されたということで、新しいとても気持のいい設備になっておりました。ただし、支笏湖の湖面と同じ高さであるという、天然露天風呂は昔のままで、大正時代からの記憶を留めておりました。
 翌日も好天気でした。2グループに分かれ、大半は札幌芸術の森を鑑賞に行き、3人が滝野のゴルフ場へ向かいました。私は下手なゴルフでしたが、秋晴れの清々しい北海道でのプレーを心底楽しみました。皆さん、ありがとうございました。

  • ふるさとを 語りつくせぬ 熱き思い

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2006年9月21日 (木)

「むくげ」の花、萩の花(9月の花)

 そういえば、まだ庭に「むくげ」の花が咲いています。確か今年は7月頃咲き出したと思いHimg0003ますので、もう2ヶ月以上連日咲き続けてくれています。1枚目と2枚目の写真は、我家の坪庭にある「むくげ」の花です。この花は「はちす」とも呼ばれ、全体的には白色なのですが、花の中心が濃い赤色になっております。この花を太閤秀吉がお茶碗に見立てて、大層好んだという話が伝わっております。Himg0009
 「むくげ」は中国原産で、中国では木槿(ムージン)と呼ぶそうです。韓国では、無窮花(ムグンファ又はムキュウゲ)と呼ぶようです。確か無窮花は韓国の国花ですよね。とても生命力の強い花木です。そういえば、「むくげ」や夾竹桃と並んで夏の花として名高い百日紅(さるすべり)は、今年は9月になってから咲き出しています。我家では梅と桜の陰になって咲かなHimg0011 かったのですが、近所の植木溜まりでは今を盛りに咲いております。これはきっと7月が雨降りばかりで日照が不足したためだと考えられます。
 「むくげ」の近くで、さすが秋、萩の花も咲き出しております。3枚目の写真は赤の萩で、花が小振りなのでよく分からないかもしれません。

  • お彼岸に むくげから萩へ バトンタッチ

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2006年9月13日 (水)

訪問した国々

 全都道府県訪問プロジェクトに個人的に取り組んでいる訳ですが、さて世界中に存在する国々には一体どの程度訪問しているのか疑問を持ちました。そこで、数えてみることにしました。結果は以下に示すとおりです(五十音順)。合計27ヶ国、1地域を訪問しています。実は香港も行っているのですが、昔は1地域でしたが今は中国の一部になっているので、残念ながら今回は計算から外しております。なお、訪問したといえる条件は、やはりこれまでと同様にその国に一泊して少なくとも朝食を食べることとしました。

  • アジア(9ヶ国)
    • インドネシア
    • シンガポール
    • スリランカ
    • 韓国
    • 中国
    • トルコ
    • 日本
    • フィリピン
    • マレーシア
  • ヨーロッパ(5ヶ国)
    • イギリス
    • オランダ
    • スイス
    • ドイツ
    • フランス
  • アフリカ(2ヶ国)
    • エジプト
    • タンザニア
  • 北アメリカ(4ヶ国)
    • アメリカ合衆国
    • カナダ
    • パナマ
    • バハマ
  • 南アメリカ(2ヶ国)
    • ブラジル
    • ボリビア
  • オセアニア(5ヶ国、1地域)
    • オーストラリア
    • サモア
    • トンガ
    • バヌアツ
    • フィジー諸島
    • (ニューカレドニア島)

 一番最初に行ったのが、アメリカ合衆国で1978年7月のことでした。最も最近訪問したのが、不思議なことに一番近い韓国で昨年(2005年)4月のことでした。28年間に27ヶ国と1地域ですから、平均すると毎年初めての国に1ヶ国は行っていることになります。

  • 平和には 多様な国の 理解から

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2006年9月 7日 (木)

フジテレビを訪問して

 昨日、某研究会のイベントで、お台場にあるフジテレビを訪問して参りました。札幌北高・同窓生のベテランアナウンサー、マッキーこと牧原俊幸さんのご案内で伺いました。 特別にお願いして、ご担当の方からテレビ放送のディジタル化についてお話を伺うことがでました。そして、多分普通は入ることのできないと思われるスタジオ、コントロールルーム、報道センター、アナウンス室、出演者控室コーナー等にも立ち寄ることができました。
 ところで、アナログテレビ放送は2011年7月24日に終了し、この日からはすべてのテレビ放送がディジタルになることをご存知でしょうか。2010年代というのは、放送と通信の分野では日常生活レベルで大変化の10年になりそうですね。電話もすべてディジタル化(IP化)され、家庭に接続されているケーブルがすべて光ケーブルになりそうです。銅線がグラ20060906スファイバーに置き換えられる訳です。私は基本的にはアナクロ人間、いやアナログ人間なので、生きていけるかどうか心配しています。
 フジテレビのビルは、丹下健三さんが設計したそうです。どうりで、面白い球体展望室や空中回廊がある訳です。個人的には、私は球体展望室に不思議に惹かれました。半円形20060906_1の天井というものは、とても落ち着ける感じがしました。1枚目の写真(携帯ですみません)は球体展望室からレインボーブリッジ方面を望んだもの(雨降りでした)、2枚目の写真は球体展望室の半円形の天井等内部を写したものです。
 そう言えば、この日は秋篠宮紀子様に男子の新宮様が誕生された日で、報道センターでは特別番組を組んでいて忙しい様子でした。また、出演者控室コーナーでは、確か明石家さんまさんと三田寛子さんにすれ違いました。

  • 空と海 オープンな心 フジテレビ

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2006年9月 6日 (水)

全都道府県訪問#42 和歌山県#5(南紀勝浦・串本)

 2日目の午後、那智勝浦町に着くと小雨模様でした。勝浦港から紀の松島めぐり遊覧船Himg0176に乗る前に腹ごしらえをすることにしました。勝浦漁港近くの鮮魚店が経営している食堂で鮪等を味わうことにしました。注文したのは、鮪の刺身と金目鯛の煮付けです。鮪は勝浦漁港が延縄漁法による生鮮鮪の水揚げ日本一ということから、また金目鯛はここでもよく獲れ、そして昔食した伊豆稲取の金目鯛の煮付けがとても美味しかったことを思い出したからでしHimg0192た。若干心配だったのは、数年前伊豆下田の鮮魚店経営の飲食店で2,000円程度の鯛の刺身を頼んだら、結構大きな鯛が1匹まるまる出て来て、食べるのに苦労し、結局後で蕁麻疹にも悩まされた苦い思い出があったことです。でも心配は無用でした。鮪(多分キハダマグロか)はトロと中トロばかりで、したがって量はさほど多くはなく、でも味は最高でした。金目Himg0194鯛もとても美味しく、身はほとんど一切れも残しませんでした。一つ残念だったことは、南 紀の魚はとても新鮮で美味しくまた南高梅の梅干しも美味なのですが、ご飯が柔らかすぎて今一つなことでした。関東では、新潟、東北そして最近は北海道の美味しい米を食べているからでしょうか。紀の松島遊覧は、天候が小雨模様のためか充分楽しめませんでした(1枚目Himg0195 の写真は紀の松島・洞窟の鶴島)。しかし少々驚い たのはホテル浦島の忘帰洞というお風呂が港側から太平洋側に突き抜けており、遠くからですが遊覧船から丸見えだったことでした(当然男湯です)。
 3日目雨降りの那智山を観光してから、お天気の串本町に向かいました。まず橋杭岩を 観光しました(2枚目の写真)。これらの岩は、硬い石英Himg0197 斑岩という火成岩の岩脈が隆起し、荒々しい黒潮の波に侵食されてできたものだそうです。次に本州最南端の潮岬に向かいました。ここは、東経135度46分、北緯33度26分だそうです。潮岬観光タワーに登ると、本州最南端訪問証明書を発行してくれました。この観光タワーから潮岬灯台方向を写したのが3枚目の写真、そして望楼(昔海軍の望楼つまり物見櫓がHimg0200 あった)の芝生方向を写したのが4枚目の写真です。最後に串本海中公園に着き、水族館を一通り眺め、沖合140m、水深6.3mにある海中展望塔で海中を観ることができました。5枚目の写真は海中展望塔から観たテーブルサンゴ、6枚目の写真は海中展望塔と海中観光船ステラマリスです。
 串本海中公園にて今回の南紀の旅は終わりとし、白浜町へ戻り空港へHimg0201 向かいました(最後の写真は、旅行中世話になったレンタカー)。

  • 黒潮が 運ぶ豊かな 南紀の海

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2006年9月 5日 (火)

全都道府県訪問#42 和歌山県#4(熊野三山)

 2日目から3日目にかけて、世界遺産でもある熊野三山を参詣して参りました。熊野三山とは、熊野本宮(ほんぐう)大社、熊野速玉(はやたま)大社、そして熊野那智大社の三つの神社を併せた総称です。この三山は紀伊半島南東端にあり、それらを直線で結べば直角三角形になるそうです。熊野古道は、熊野三山への参詣道であり、熊野詣は10世紀から15世紀にかけて盛んに行われ、蟻の熊野詣といわれたそうです。本宮⇒速玉⇒那智の順で巡るのが、中世以来の順路とか・・・。今回はそんなことは知らずに、熊野行幸のメインルートである中辺路(なかへち)に沿った現代の自動車用舗装道路を、この順路で巡ったことになりました。

Himg0168 熊野本宮大社は、山深き本宮町にあり、一の鳥居から158段の石段を上って参詣します(1枚目の写真)。本宮大社のご由緒は次のとおりです。

 当宮は熊野三山(本宮、新宮、那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。ご主神は、ケツミコオオカミ(家津御子大神)即ちスサノオノミコト(素戔嗚尊)と申し、樹木を支配される神であり、紀国(きのくに=木の国)の語源もここから起こっております。

 本宮大社は元々は熊野川の中州の大斎原(おおゆのはら)にあったが、1889年(明治22年)の大洪水により倒壊、流失したため、2年後に現在地に一部は元の社殿の古材を使って再建されたそうです。大斎原には、今は日本最大といわれる鳥居が建っています。

 熊野速玉大社は、新宮市、熊野川河口近くにあります。本宮大社とは熊野川でつながっHimg0173 ていることになります。ご主神はクマノハヤタマオオカミ(熊野速玉大神)で、今は丹塗りの見事な社殿が並んでいます(2枚目の写真)。しかし、ここも本宮大社流失より6年前、1983年(明治16年)に火災焼失し、1953年(昭和28年)に再建されるま仮社殿だったといいます。新宮には、速玉大社つまり熊野信仰の源となった、神倉山の霊石ゴトビキ岩(天の磐盾)をご神体とする神倉神社もありますが、麓からチラッと眺めただけでした。
 速玉大社には、熊野御幸の碑があり、次に引用するとおり140回の皇室参詣があったとのことです。その中でももっと多いのは後白河上皇の33度(那智大社では34度と書いてありました)だそうで、平安末期の源平時代の荒れた世相を反映していたのかもしれません。

 中世、宇多上皇(第59代天皇)の延喜7年(西暦907年)から玄輝門院の嘉元元年(西暦1303年)までの396年間に上皇、女院、親王を合せて御23方、140回に及ぶ皇室の御参詣があり、これを熊野御幸と言って熊野三山史に不滅の光彩を放っている。

 3日目の朝に紀伊勝浦町の那智山にある熊野那智大社に参詣しました。麓は晴れていHimg0179 たのですが、車で山登りをしていると、かなりの雨模様になって参りました。晴れ男のはずの私にとっては、久々の雨降りの朝でした。表参道の473段の石段を上ったところに那智大社の境内が広がっていました。ご主神は、本宮大社と同じスサノオノミコトで、丹塗りの鮮やかな社殿が建っています(3枚目の写真)。
 そしてすぐ隣には、西国33所1番札所の那智山青岸渡寺(せいがんとじ)がありました。Himg0190現在残る本堂(如意輪堂)は1590年(天正18年)に豊臣秀吉が寄進したもので、南紀最古で重要文化財に指定されているそうです。両者がこんなに近いのは、明治の神仏分離令までは青岸渡寺は那智権現(那智大社)に属していた如意輪堂であったためだそうです。逆に言うと、熊野では神仏習合がいかに進んでいたかということで、当時は何とスサノオノミコトは阿弥陀如来、クマノハヤタマオオカミは薬師如来の仮の姿とされていたようです。
 那智山のハイライトはやはり落差133mの那智の滝です(4枚目の写真)。ここには滝を神 体とした飛瀧(ひろう)神社があります。古く神武天皇が熊野灘から那Himg0167 智の浜に上陸した時に那智山に白く輝く滝を発見し、これを神として祭ることとしたといわれます。また、神武天皇を案内して大和まで導いたのがヤタガラス(八咫烏)といわれています(5枚目の写真は本宮ヤタガラスの社と大社入口の神門)。そういえばヤタガラスは明治時代から日本サッカー協会のシンボルマークです。

  • 熊野の地 神話とともに 幾千年

【参考文献】 井上宏生著 「神さまと神社―日本人なら知っておきたい八百万の世界」 2006年 祥伝社刊

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2006年9月 4日 (月)

全都道府県訪問#42 和歌山県#3(南紀白浜#2)

Himg0159  三段壁を後にして、千畳敷へ向かいました。長い歳月にわたり波が海岸のHimg0160岩を浸食し、幾重にも畳を重ねたような景観が出来上がっています(左側1枚目の写真)。次に白浜海中展望塔(コーラルプリンセス)を訪れました。沖合100m、高さ18m、水深6mの全天候型展望塔でした。そして、白浜の温泉街を一望するた め、標高118mの平草原(へいそうげん)に登りました。全 長600mといわれる真っ白い砂浜「白良浜(しららはま)」を中心とした白浜Himg0161温泉街がよく見えました(右側1枚目の写真)。
 白良浜が目の前のホテルにチェックインした後、円月島の夕日を見るために海岸へ散歩に出ました。権現崎を回るとちょうど日没の頃、茜色に染まる空と円月島を撮ることができました(左側2枚目の写Himg0164真)。夜はメッセージ花火の打上げが、白良浜で行われました。これは、花火に誰かに贈るメッセージが添えられた(もちろん放送される訳ですが)ものです。

Himg0162  翌朝(2日目)やや早起きをして、円月島のある臨海地区から乗れるグラスボートに乗ることにしました(右側2枚目の写真)。沢山の魚と珊瑚、そして海女さんの水中ショーを見ることができました。左側3枚目の写Himg0163 真は、ホテルの部屋から撮った南国情緒漂う白良浜で、右側3枚目の写真は、ホテルの白良浜側で沢山咲いていた赤いハイビスカスです。ここでは、ハイビスカスも露地植えでいいんですね。

  • 日に焼けて 南国白浜 堪能す

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2006年9月 3日 (日)

全都道府県訪問#42 和歌山県#2(南紀白浜#1 三段壁)

 南紀白浜空港(白浜町)に到着し、白浜駅前でレンタカーを借り、すぐ三段壁に向かいました。まHimg0152 ず、エレベータで地下36mの三段壁洞窟に降り、洞窟内を観光しました(1枚目の写真は洞窟内で砕ける波)。入場券の裏に印刷されている「名勝古跡 三段壁洞窟の由来」は次のとおりです。

 第五十代桓武天皇の頃、三段壁の沖合を航行する船から魔の牟Himg0149 婁(「むろ」と読むようです)沖と漁夫たちより恐れられた海賊〝多賀丸〟の隠し洞窟であり、年を経て源氏と平家が四国の屋島沖で対決した当時、熊野地方は敏捷果敢な熊野水軍の支配下にあって三段壁洞窟はその熊野水軍の〝船隠し洞窟〟でもあった。源平合戦の主戦場が屋島から壇の浦に移る頃、二百余隻の軍船に二千余人の勇猛な熊野水軍が決戦場壇の浦に向かって此処、田辺湾を進発せり・・・とあり。時を同じくして豪僧武蔵坊弁慶の活躍も記録されている。(白浜町 保存牟婁伝記より)

 源平合戦の頃は熊野水軍は熊野別当堪増(たんぞう)に率いられておりました。堪増はHimg0155弁慶の父であり、弁慶は義経に仕えている訳ですから、弁慶から当然熊野水軍に源氏応援の要請がありました。 堪増は元々平家方であったので、赤白の鶏による闘鶏七番勝負をやり白鶏(源氏方)が七番とも圧倒的勝利を収めるのを見て源氏加担を決めたというのは、有名な話です。昨年のNHK大河ドラマ「義経」思い出してしまHimg0157いました。
 三段壁は高さ50m、断崖絶壁が約2㎞も続く、勇壮な景観です。2枚目の写真が洞窟内から観た三段壁、3枚目の写真が展望台から見た三段壁、そして4枚目の写真が三段壁の断崖上から見た海です。やはりここには悲しい話も残っているようです。5枚目の写真をご覧下さい。「口紅の遺書詩Himg0158碑」がありました。

  • 三段壁 歴史の波にも 洗われて

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源平 海の合戦―史実と伝承を紀行する Book 源平 海の合戦―史実と伝承を紀行する

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2006年9月 2日 (土)

全都道府県訪問#42 和歌山県#1

 8月末に和歌山県(南紀)に行って参りました。小生のささやかなプロジェクト「全都道府県訪問」の第41番目の県になりました。いよいよ残りは5県になりました。鳥取、高知、佐賀、長崎、沖縄の5県です。
 和歌山県訪問の旅程は次のようなものでした。

  • 第1日目  JALで南紀白浜空港(白浜町)到着⇒白浜駅でレンタカー借用⇒三段壁、千畳敷、海中展望塔、平草原、円月島を観光⇒白浜温泉に宿泊
  • 第2日目  円月島付近でグラスボートに乗船⇒本宮町に向かい熊野本宮大社を参詣⇒新宮市に向かい熊野速玉大社を参詣⇒那智勝浦町に向かい勝浦港から紀の松島観光船に乗船⇒南紀勝浦温泉に宿泊
  • 第3日目  熊野那智大社、那智山青海渡寺、そして那智の滝に参詣⇒串本町に向かい橋杭岩、潮岬、串本海中公園を観光⇒白浜町に戻り白浜駅でレンタカー返却⇒南紀白浜空港からJALで帰路へ

 場所柄、やはり関西の観光客が多かったような気がします。道幅が余り広くなく、センターラインを越えないように、運転には注意を払いました。以後数回に分けて、写真も使って和歌山県を紹介します(右写真は航空機からの南紀白浜空港を中心とした白浜町全景)。Himg0134

  • 快晴の 南紀白浜 お出迎え

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