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2006年12月の9件の記事

2006年12月25日 (月)

全都道府県訪問#40 鹿児島県

 次は鹿児島県訪問の報告です。ちょうど40番目の県になりました。

  • 第2日目
    • 宮崎県から移動~霧島温泉郷に入ると、昨日降った雪が除雪はされているもの路肩に数10㎝も溜まっていて、冬至前後の真っ暗な夕闇の中、山道を運転するのは少し恐い気がしました。
    • 霧島・林田温泉泊~霧島温泉郷から南側には視界を遮る山等はないため、翌朝ホテルのロビーや露天風呂からは桜島と錦江湾(鹿児島湾)の見事な眺望を楽しむことができました。
  • 第3日目
    • 霧島神宮参詣~霧島神宮参詣の栞によりますと御由緒は次のとおりです。200512241020000 「当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽(みしるし))を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基を建て給(たもう)た肇国(ちょうこく)の祖神<天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)>をお祀りしているお社です。旧記によると欽明天皇の御宇(ぎょう)(西暦540年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘(せとお)に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から500年前現在の社地へ御鎮座になりました。いまの御社殿は第21代薩摩藩主島津吉貴公が1715年(正徳5年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐(りんかん)の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四考の絵画、龍柱、床には鶯帳りが施されている。1874年(明治7年)2月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました」(1枚目の写真は雪の霧島神宮)
    • 霧島民芸村訪問
    • 知覧観光~知覧は、「母ヶ岳の優美な姿を借景とし、260余年もの歳月を経200512241338000 て、歴史の息吹を今に伝える薩摩の小京都」だそうです。知覧武家屋敷群では、7つの国指定の名勝庭園を鑑賞することができました(2枚目の写真は佐多民子氏邸庭園)。同屋敷群の一角にある、築150年といわれる知覧独特の「二ツ家民家」を活用した食事処で郷土料理を楽しみました。
    • 開聞岳、白露酒造工場確認~霧島温泉で初めて味わった、白露酒造の芋焼酎「匠の華」がとても美味しくファンになりました。東京でも大きな酒屋さんでは売っています。
    • 指宿温泉泊~錦江湾を眺めながら、砂むし風呂を体験いたしました。背中と腿の裏が少し熱すぎるように感じました。
  • 第4日目
    • 城山観光~城山は南北朝時代に城が築かれていた標高107mの小高い丘で200512251202000あり、 西南戦争最後の激戦地です。ここの展望台からは、鹿児島市街地、桜島、錦江湾、そして大隅半島までの見事な眺望を楽しめます(3枚目の写真が城山から眺めた桜島と錦江湾)。
    • 仙巌園(磯庭園)観光~仙巌園(せんがんえん)は、第19代薩摩藩主島津光 久が1658年(万治元年)に別邸として建てたのが始まりだそうです。桜島を築山に錦江湾を池に観立てた雄大な借景を持ちます(4枚目の写真が仙巌園から観た桜島と錦江湾の借景、5枚目の写真が仙巌園内の磯御殿-内部の見学ツアーあり)。
    • 尚古集成館訪問~尚古集成館には、第28代薩摩藩主島津斉Himg0107_1彬により着手された殖産事業・集成館事業の一部が展示されています。本館の建物自体は旧集成館の機械工場でした。集成館事業については、パンフレットに次のように紹介されています。「1840年代、薩摩藩は開国・通商を求めるヨーロッパ諸国の烈しい外圧にさらされ、いち早く近代化に着手しました。 特に、1851年(嘉永4年)薩摩藩主となった島津斉彬は、ヨーロッパの国々のような強く豊か200512251341000 な日本を夢見て、集成館事業という非常にスケールの大きな近代化産業を推進しました。集成館事業は、鹿児島城下郊外の磯に築かれた工場群『集成館』を中核に、製鉄・造船・造砲・紡績・機械・印刷・出版・教育・製薬・精糖・ガラス・ガス・医療などさまざまな分野にわたっています。幕府や他藩の近代化が、軍事力の強化を主体としていたのに対し、集成館事業の場合は産業の育成や社会基盤の整備にまで及んでいました。人々が豊かに暮らせるようになれば自然とまとまる。人の和はどんな軍備よりも勝ると斉彬が考えていたからです。 斉彬は、幕府や藩といった枠を越え、日本人が一丸となって近代国家を築くべきだと主張していました。集成館事業は、薩摩藩だけではなく、日本全体を生まれ変わらせたいという斉彬の思いのこもった大きな事業だったのです。 1858年(安政5年)、斉彬は病死し、斉彬の夢は弟の久光や娘婿の忠義、西郷隆盛・大久保利通ら多くの家臣達に受け継がれました」
    • 薩摩ガラス工芸訪問~薩摩切子が有名です。
    • 鹿児島空港でレンタカー返却、空港出発~薩摩料理は、薩摩揚げ(本場のものは一つひとつが小振りです)、きびなご、黒豚が美味しいです。
  • 島津藩 自治は革命 命懸け

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2006年12月24日 (日)

全都道府県訪問#39 宮崎県

 ちょうど1年前、全都道府県訪問の一環で宮崎県と鹿児島県を訪れました。今回は宮崎県訪問の報告です。

  • 第1日目
    • 宮崎空港到着、レンタカー借用~当日朝鹿児島県北部は数10年振りとかのHimg0087_2大雪に見舞われ、鹿児島空港は閉鎖されていました。もし宮崎空港ではなく鹿児島空港に向かっていたらフライトはキャンセルされていたはずで、最初から幸運の女神が微笑んでくれました。宮崎空港でも雪が降ったそうですが、昼前に到着した時には消えていました。
    • 青島観光、青島神社参詣~とにかく吹きさらしで、風がとても冷たくライナーをHimg0090_1外したコートではかなり寒い思いをしました。青島は周囲1.5㎞の小さな島ですが、海幸彦、山幸彦の神話の舞台であり、島の中央には山幸彦を祀った青島神社があります。神社には、巨人軍の選手が春のキャンプ時に奉納した絵馬が沢山掛かっていました。また、島にはビロウ樹(椰子科の植物)等の亜熱帯植物が生い茂っていました。そして、島の周りは「鬼の洗濯板」と呼ばれる面白い波状岩で囲まれていました(1枚目の写真が青島神社の鳥居と鬼の洗濯板)。
    • 青島泊~翌朝、ホテルから日向灘に昇る日の出を観ることができました(2枚目の写真)。
  • 第2日目
    • 堀切峠観光
    • サンメッセ日南訪問~京都一燈園の創始者で、日本の聖フラHimg0093_1ンシスコとも、あるいは日本のガンジーとも称される西田天香の遺徳のよって造られた太陽と南洋のパーク(公園)です。イースター島のアフ・アキビという名前の付いたモアイ7体を正式な許可を得て復刻したものが並んでいる様は、壮観でした(3・4枚目の写真が7体のモアイ像)。これは、イースター島のモアイ像を修復した日本チームに感謝し、復刻が許可されたものだそうです。
    • 鵜戸(うど)神宮参詣~鵜戸神宮は鵜戸崎の海蝕洞の中に建Himg0094_3ち、神武天皇の父の生誕地といわれているそうです。境内から眼下に望む海岸にある、亀石の甲羅の窪みに素焼きの玉を投げ入れ、入れば願いが叶うといわれるものがありました。7個の玉を購入し、7回チャンスがある訳ですが、男性は左手で投げなければいけませんでした。それでも、私は3投目に見事に入れることができました。
    • 飫肥観光~飫肥は、日本外交の基礎を築いた明治の外交官・小村寿太郎Nec_0095 出身地です。彼は、1905年(明治38年)首席全権大使として米国ポーツマス市で日露戦争終結のための交渉をロシアと行い、日露講和条約を締結することができました。飫肥城では、豫章館(藩主伊東家の屋敷と庭園)、松尾の松(江戸時代の藩主の御殿を再現)、飫肥城歴史資料館(飫肥藩ゆかりの品々を展示)、国際交流センター小村記念館(小村寿太郎侯の資料館、国際交流。文化的行事にも活用)、そして商家資料館(飫肥商人の暮らしに触れる)を見学しました(5枚目の写真は飫肥城大手門)。また、名物おび天を食しました。
    • 鹿児島県へ移動~多分台風による崖崩れのせいで飫肥街道から都城へ抜けるルートが閉鎖されていたため、かなり遠回りになりましたが宮崎自動車道を利用して鹿児島県に入りました。
  • 遥か明治 飫肥が育む 外交力

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2006年12月23日 (土)

近所の紅葉

Himg0177Himg0171  東京多摩地区でも、今年の遅めの紅葉がいよいよ終わりを告げようとしております。
 まず我が家の坪庭のモミジ(カツラ)の紅葉、愛車レクサスIS250と一緒に写っております(左側1枚目の写真)。次に桜の名所でもある「たけのこ公園」で見つけた、最後のモミジの紅Himg0179_1葉と竹林(公園名の由来)です(右側1枚目の写真、同2枚目の写真に竹林だけ撮りました)。そして、いつも通る多摩湖自転車道に、紅葉Himg0180ではありませんが綺麗なススキの穂がありました(左側2枚目の写真)。
 西武新宿線花小金井駅から田無駅寄りに少し進んだ多Himg0183摩湖自転車道に、 やはり最後のモミジの紅葉が完全に落葉したソメイヨシノ(染井吉野)の並木の間にポツリと残っておりました(右側3枚目のHimg0185写真)。そして、その足元のモミジの落葉による赤い絨緞がありました(左側4枚目の写真)。


  • 名残惜し 日本の秋の 美しさ

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2006年12月22日 (金)

12月の銚子・犬吠埼

Himg0151  先週末、関東最東端といわれる銚子・犬吠埼を、愛車レクサスIS250を駆って1泊2日で訪ねて参りました。12月は、地軸の傾きのせいで、日本最東端の北海道納沙布岬より日の出の時刻が早い、つまり日本一早く日が昇ること(午前6時30分頃)で有名なところです。しかし、真に残念ながら、今回は天気が曇りで日の出を拝むことはできませんでした(1枚Himg0144目の写真はホテルから眺めた犬吠埼)。
 (注)島嶼部を考慮する と、12月に日本一日の出の時刻が早いのは多分小笠原諸島だと思います。
 1日目は、犬吠埼灯台を登り、次に地球の丸く見える丘展望館を訪れました。犬吠埼灯台は、北緯35度42分28秒、東経140度52分07秒の地点にHimg0139建てられ、地上から灯火まで27m、水面から灯火まで52mの高さがあり、初点灯は 1874年(明治7年)11月15日とのことです(2枚目の写真は犬吠埼灯台と商店街)。(九十九里浜にちなんだ?)99段の螺旋(らせん)階段と16段の梯子を登ると展望デッキに出られ、360度のパノラマの眺望が楽しめます(3枚目の写真は灯台展望デッキから君ヶ浜を望んだもの)。地球Himg0150の丸く見える丘展望館(4枚目の写真)は、標高73.6mの銚子最高峰の愛宕山山頂にあり、屋上の展望台からの眺望は330度が海といわれ、文字どおり地球が丸く見えました。
 2日目は、ヤマサ醤油工場、ウオッセ21、屏風ヶ浦(びょうぶがうら)そして飯岡刑部(ぎょうぶ)岬展望館を訪ねました。醤油の醸造は漁業と並ぶHimg0153銚子の主要産業で、元々は醤油醸造の発祥の地紀州(和歌山県湯浅町が文字どおりの発祥の地)からおよそ400年前に製造法が伝えられたものだそうです。週末は工場が休業でビデオ案内のみでした。ウオッセ21は水産物卸売センターで、大抵のお土産はここで 揃えられます。屏風ヶ浦(5枚目の写真)は、銚子市の南西側、名洗(なあらい)から飯岡刑部岬展望館Himg0157_1のある刑部岬まで約9kmにわたって高さ40~50mの断崖絶壁が続いているエリアで、英仏海峡英国側ドーバーの「白い壁」にたとえられ「東洋のドーバー」とも称されているそうです。最後の飯岡刑部岬展望館からは、刑部岬から始まり南西方向に遠くに広がる九十九里浜(6枚目の写真)を一望するこ とができました。
 (注)13世紀に中国南宋から径山寺(金山寺)味噌の製法が現在の和歌山県由良町に伝わり、味噌樽にたまる汁を商品化したものがたまり醤油だそうです。
 最後になりましたが、さすがに水産物は活きがよく美味で、カンパチ、タイ、ハマチ、マグロ、イカ、タコ等に加えて、キンメダイ、サワラ、サンマ等も生で食しました。

  • 海の道 紀伊から房総 醤油ロード

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2006年12月21日 (木)

日比谷公園の紅葉2006

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 今週日比谷公園のモミジが紅葉の最盛期を迎えました。特に、公園の西側、霞門の近くにある雲形池の周囲に植えられているモミジの紅葉が見事でした。

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 雲形池の中央には、鶴の噴水があり、解説板には次のとおり蘊蓄(うんちく)が記されております。

 この噴水は、明治38年(注:1905年)頃東京美術学校(現在の東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声両氏に依頼製作したもので、公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものとのことです。(1番目は長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面公園)
 当初は鶴と台座とも銅製でしたが戦時中の金属回収で台座が石造りとなったものの、水面に薄氷が張り鶴の像につららが下がる景色は、当公園の冬の風物詩となっています。

Himg0166
Himg0170

 日比谷公園には公園の北東の隅、有楽門の近くにもう一つの池があり、心という字の形をしているかとかで、心字池と名付けられています。確か何年か前に、この池の東側の丘に登って反対側(池の西側)のベンチ付近にいる人々を描写するシーンが出てくる作品が芥川賞を受賞し、そのせいでわざわざこの池を見に来た覚えがあります。

Himg0174
Himg0175

 写真の説明をします。1~4枚目は雲形池とその周囲のモミジの紅葉です。4枚目には雲形池の中央に鶴の噴水が写っています。5枚目は第二花壇近くの見事なモミジの紅葉です。ちなみに背景に写っているビルは、1枚目が大和生命ビル、2枚目がみずほ銀行本店ビル、4枚目が左から建替え中の日比谷パークビル(ザ・ペニンシュラ東京が入居予定)、東京宝塚ビル(中に宝塚劇場があります)、帝国ホテル、そして5枚目が再びみずほ銀行本店ビルです。6枚目は松本楼付近のイチョウの落葉による絨緞(じゅうたん)、7枚目が第二花壇付近の最後に残っているイチョウの黄葉の1本と大噴水です。日比谷公園では、イチョウ黄葉の最盛期はモミジよりおよそ2週間程早いようです。

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  • 年忘れ モミジの紅葉 彩を副え

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2006年12月15日 (金)

12月上旬の花(キク、バラ、ハイビスカス)

Himg0117_1Himg0118_1  我が家の坪庭に咲いていた12月上旬の花を紹介します。

 まずは菊です。大型の厚物は手間がかかるので、最近は放っておいても構わないスプレー菊を育てています。左Himg0119 Himg0125_1側1枚 目の写真は路地植えのスプレー菊、右側1・2枚目の写真は鉢植えの黄と赤の菊(嵯峨菊のようです)です。

 今年は暖かいので、秋バラが今頃咲いていました。左側2枚目の写真はクイーンエリザベスですが、この季節の花Himg0123Himg0115_1は小振りですが長持ちします。

 11月の初めに季節外れのハイビスカス(別名:ブッソウゲ(仏桑花)、品種:カンヌ)の花が咲いた記事を書きましたが、何と今年は12月にも一輪咲いてくれました。左右3枚目の写真がそうなのですが、左側が12月3日の様子で右側が12月7日の様子です。真夏ではたった1日しか持たないハイビスカスの花が、今のシーズンでは約1週間もの間、目を楽しませてくれました。

  • 温暖化 師走にも 花の宴

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2006年12月10日 (日)

藤原正彦著「国家の堕落」を読んで

 あの「国家の品格」の著者藤原正彦氏が、明日が書店での発売日である「文藝春秋」2007年1月号(新年特別号)の巻頭に特別寄稿を寄せております。その題目は、「驕れる経済人よ、猛省せよ 国家の堕落 改革の名のもとに国柄を壊し、ついには教育まで」としてあります。

 (注)ところで文藝春秋を年間定期購読していると、発売日の数日前に自宅に配送されますし(今回は5日前の水曜日に配送されました)、表紙の絵を描いている平松礼二氏の絵を使ったカレンダーもいただけます。

 藤原氏は、この論文を次のように始めております。

 近代になって、市場原理主義ほどこの日本を傷つけたものは多くはない。戦前の帝国主義、戦後のGHQと日教組、そして冷戦後の市場原理主義と並べられるほどである。
 日本を傷つけたこれらイデオロギーには二つの共通な特徴がある。一つは、それらイデオロギーが日本を傷つける過程で、一部の狂信的な人々に主唱され利用されただけではなく、大多数の国民にも共有されたということである。そして二つ目は、それらイデオロギーが我が国の古くからの国柄を忘れたものであったということである。

 藤原氏は、国家に対する何の哲学もないまま、市場原理主義という経済の視点で日本改造を行ったため、日本の国柄が破壊され、

  • 企業のリストラにより500万ともいわれるニート、フリーターが出現し
  • 経済上の格差、生命の格差そして教育の格差を広げ
  • 激しい競争社会というより生き馬の目を抜くような社会を現出させた

などと結論付けております。また、市場原理主義を推し進めていけば、日本農業は壊滅に瀕し、現在でも40%に過ぎない食糧自給率はさらに格段に低くなると予測しています。
 確かに我々も日々営利企業で働いていると、金儲けが目的ですから、どうしても金儲け主義になってしまいます。その結果、

  • 競争相手を出し抜く
  • 弱い相手は徹底的に叩く
  • 負けた者には存在価値がない
  • 必要以上に難解で、細かい字の契約書を作る
  • 分からなければいい(通常犯罪までは参りませんが、行き過ぎると談合や賄賂に至ります)

などの発想が、とてもた易く出て来てしまいます。これは、言い換えれば、「自分さえ良ければいい」、「相手などどうなっても構わない」という、藤原氏が著書「国家の品格」で述べている、日本に古来から備わっているという「弱いものいじめをしない」、「惻隠の情をもつ」などという武士道の精神に、全く反する思考が出て参ります。
 これは、日本の現代社会の病理である、自殺といじめにつながっているのではないでしょうか。

  • 存在は善である
  • 生命は尊重すべきものである
  • 弱いものいじめをしない
  • すべての生き物と共生する

などの、いわゆる自明の理、公理的なものをしっかり教育しないとこのようなことになるのではないでしょうか。藤原氏は、市場原理主義による教育改革には最も警鐘を鳴らしており、小学校でパソコンを教え、英語を教えることで、基礎科学、文学、芸術などは切り捨てられると危惧しています。「歴史的視点に立つと、数学とか理論物理学などの基礎科学の弱い国が、長期間繁栄したことは近代になって一つもない」のだそうです。
 私は藤原氏の意見には共感できる部分が多かったのですが、さて皆さんはいかがでしょうか。とにかく国家的な議論を行うことが必要だと思います。

  • 国柄を 偲び草の根 人づくり

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2006年12月 9日 (土)

小平・市民オペラ協会第20回公演「マイ・フェア・レディ」を観て

Himg0120  先週の日曜日にルネこだいら(写真はルネこだいら前のあかしあ通りと欅の紅葉)中ホールにて行われた、小平・市民オペラ協会第20回公演を観て参りました。今年は、フレデリック・ロウ作曲のミュージカル「マイ・フェア・レディ」(小平版・日本語)が上演されました。団員は音大卒やグリークラブ上がりが含まれるものの基本的に素人ですが、年一回のこの公演のために1年間毎日曜日練習してきただけあって、なかなかの出来映えでした。会場はほぼ満席で、約400人もの観客がミュージカルを堪能しました。 
 毎週いつも音楽の指導をして下さり、また公演時は指揮をして下さるのが、とても素敵な佐々木弐奈先生(国立音大卒、二期会オペラスタジオ終了)です。それから、演出・演技指導をして下さるのが、俳優の井上肇先生です。多分ボランティアではないかと思いますが、プロの二人の先生に指導していただくのはとても幸運なことだと考えました。さらに、ボランティアでとても綺麗な衣裳を制作して下さる方、そしてメーキャップをして下さる方もおり、大道具・小道具を除けば、サポートはかなり充実しているようでした。
 この催しは、小平市教育委員会・小平市文化協会主催で、第44回小平市民文化祭参加のものです。したがって、会場には市長と市議会議長の姿もありました。多分市レベルの活動でオペラやミュージカルを上演しているのは、とても珍しいのではないでしょうか。昨年は、ご存知W.A.モーツァルト作曲の歌劇「魔笛」(小平版・日本語)を上演しました。なお、昨年から私の義母も公演に参加しております。

  • 素晴らしき 市民レベルの ミュージカル

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マイ・フェア・レディ Music マイ・フェア・レディ

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2006年12月 8日 (金)

大エルミタージュ美術館展と上野公園の紅葉

Himg0112_1  先週末上野公園(上野恩賜公園)にある東京都美術館で、大エルミタージュ美術館展を観て参りました。展覧会の副題が、「いま甦る巨匠たち400年の記憶」そして「ヴェネツィア派からモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソまで」とあり、かなりの意気込みが窺えます
 この展覧会は3フロアーを使い、ロビー階に「Ⅰ家庭の情景」として20Himg0109点、1階に「Ⅱ人と自然の共生」として39点、そして2階に「Ⅲ都市の肖像」として21点、合計80点もの絵画が展示されておりました。いつものとおり進化した音声ガイドを利用して素早く鑑賞したわけですが、私の印象に残ったものは、フラマン、クナウス、ルノワール、ゴーギャン、マチス、ルソーらの絵画でした。ゴーギャンの絵は本展覧会のテーマの絵にもなっております。このHimg0110_1展覧会の会期は、クリスマスイブ、12月24日(日曜)までです。まだご覧になっていない方は早めにいらして下さい。

 エルミタージュ美術館はロシアのサンクトペテルブルグにあります。サンクトペテルブルグは、ロシア皇帝ピヨトール1世が何もないところに一からHimg0114_1築き上げたロシアの首都です。エルミタージュとはフランス語で「隠者の庵」という意味らしく、元々はエカテリーナ2世の絵画コレクションをプライベートに展示していた場所(王宮)であったそうです。後に一般に公開される訳ですが、展示室が約1000もあり、鑑賞するために歩く総距離が何と28㎞もあると聴かされ、とても驚きました。ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館と併せて、世界の三大博物館と呼ばれているそうです。

 ところで、上野公園は紅葉の真っ盛りでした。紅葉の写真を説明します。Himg0107上から、①東京国立博物館(左下隅)と紅葉、②水上音楽堂近くのモミジの紅葉、③不忍池・ボート池と紅葉(上野精養軒が右上隅にわずかに観えます)、④噴水横の紅葉と月齢11日位の月、⑤(突然新宿ですが)新宿中央公園の紅葉と水の広場でのフリーマーケット(蚤の市)(左隅)です。なお、上野公園は、江戸幕府三代将軍徳川家光の命により天海僧正によって1635年(寛永2年)に建立された寛永寺の境内跡だそうです(出展「江戸下町情緒―上野恩賜公園」)。

  • 紅葉と エルミタージュの 競演か

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