カテゴリー「園芸(~2006年)」の37件の記事

2006年12月25日 (月)

全都道府県訪問#40 鹿児島県

 次は鹿児島県訪問の報告です。ちょうど40番目の県になりました。

  • 第2日目
    • 宮崎県から移動~霧島温泉郷に入ると、昨日降った雪が除雪はされているもの路肩に数10㎝も溜まっていて、冬至前後の真っ暗な夕闇の中、山道を運転するのは少し恐い気がしました。
    • 霧島・林田温泉泊~霧島温泉郷から南側には視界を遮る山等はないため、翌朝ホテルのロビーや露天風呂からは桜島と錦江湾(鹿児島湾)の見事な眺望を楽しむことができました。
  • 第3日目
    • 霧島神宮参詣~霧島神宮参詣の栞によりますと御由緒は次のとおりです。200512241020000 「当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽(みしるし))を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基を建て給(たもう)た肇国(ちょうこく)の祖神<天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)>をお祀りしているお社です。旧記によると欽明天皇の御宇(ぎょう)(西暦540年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘(せとお)に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から500年前現在の社地へ御鎮座になりました。いまの御社殿は第21代薩摩藩主島津吉貴公が1715年(正徳5年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐(りんかん)の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四考の絵画、龍柱、床には鶯帳りが施されている。1874年(明治7年)2月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました」(1枚目の写真は雪の霧島神宮)
    • 霧島民芸村訪問
    • 知覧観光~知覧は、「母ヶ岳の優美な姿を借景とし、260余年もの歳月を経200512241338000 て、歴史の息吹を今に伝える薩摩の小京都」だそうです。知覧武家屋敷群では、7つの国指定の名勝庭園を鑑賞することができました(2枚目の写真は佐多民子氏邸庭園)。同屋敷群の一角にある、築150年といわれる知覧独特の「二ツ家民家」を活用した食事処で郷土料理を楽しみました。
    • 開聞岳、白露酒造工場確認~霧島温泉で初めて味わった、白露酒造の芋焼酎「匠の華」がとても美味しくファンになりました。東京でも大きな酒屋さんでは売っています。
    • 指宿温泉泊~錦江湾を眺めながら、砂むし風呂を体験いたしました。背中と腿の裏が少し熱すぎるように感じました。
  • 第4日目
    • 城山観光~城山は南北朝時代に城が築かれていた標高107mの小高い丘で200512251202000あり、 西南戦争最後の激戦地です。ここの展望台からは、鹿児島市街地、桜島、錦江湾、そして大隅半島までの見事な眺望を楽しめます(3枚目の写真が城山から眺めた桜島と錦江湾)。
    • 仙巌園(磯庭園)観光~仙巌園(せんがんえん)は、第19代薩摩藩主島津光 久が1658年(万治元年)に別邸として建てたのが始まりだそうです。桜島を築山に錦江湾を池に観立てた雄大な借景を持ちます(4枚目の写真が仙巌園から観た桜島と錦江湾の借景、5枚目の写真が仙巌園内の磯御殿-内部の見学ツアーあり)。
    • 尚古集成館訪問~尚古集成館には、第28代薩摩藩主島津斉Himg0107_1彬により着手された殖産事業・集成館事業の一部が展示されています。本館の建物自体は旧集成館の機械工場でした。集成館事業については、パンフレットに次のように紹介されています。「1840年代、薩摩藩は開国・通商を求めるヨーロッパ諸国の烈しい外圧にさらされ、いち早く近代化に着手しました。 特に、1851年(嘉永4年)薩摩藩主となった島津斉彬は、ヨーロッパの国々のような強く豊か200512251341000 な日本を夢見て、集成館事業という非常にスケールの大きな近代化産業を推進しました。集成館事業は、鹿児島城下郊外の磯に築かれた工場群『集成館』を中核に、製鉄・造船・造砲・紡績・機械・印刷・出版・教育・製薬・精糖・ガラス・ガス・医療などさまざまな分野にわたっています。幕府や他藩の近代化が、軍事力の強化を主体としていたのに対し、集成館事業の場合は産業の育成や社会基盤の整備にまで及んでいました。人々が豊かに暮らせるようになれば自然とまとまる。人の和はどんな軍備よりも勝ると斉彬が考えていたからです。 斉彬は、幕府や藩といった枠を越え、日本人が一丸となって近代国家を築くべきだと主張していました。集成館事業は、薩摩藩だけではなく、日本全体を生まれ変わらせたいという斉彬の思いのこもった大きな事業だったのです。 1858年(安政5年)、斉彬は病死し、斉彬の夢は弟の久光や娘婿の忠義、西郷隆盛・大久保利通ら多くの家臣達に受け継がれました」
    • 薩摩ガラス工芸訪問~薩摩切子が有名です。
    • 鹿児島空港でレンタカー返却、空港出発~薩摩料理は、薩摩揚げ(本場のものは一つひとつが小振りです)、きびなご、黒豚が美味しいです。
  • 島津藩 自治は革命 命懸け

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2006年12月23日 (土)

近所の紅葉

Himg0177Himg0171  東京多摩地区でも、今年の遅めの紅葉がいよいよ終わりを告げようとしております。
 まず我が家の坪庭のモミジ(カツラ)の紅葉、愛車レクサスIS250と一緒に写っております(左側1枚目の写真)。次に桜の名所でもある「たけのこ公園」で見つけた、最後のモミジの紅Himg0179_1葉と竹林(公園名の由来)です(右側1枚目の写真、同2枚目の写真に竹林だけ撮りました)。そして、いつも通る多摩湖自転車道に、紅葉Himg0180ではありませんが綺麗なススキの穂がありました(左側2枚目の写真)。
 西武新宿線花小金井駅から田無駅寄りに少し進んだ多Himg0183摩湖自転車道に、 やはり最後のモミジの紅葉が完全に落葉したソメイヨシノ(染井吉野)の並木の間にポツリと残っておりました(右側3枚目のHimg0185写真)。そして、その足元のモミジの落葉による赤い絨緞がありました(左側4枚目の写真)。


  • 名残惜し 日本の秋の 美しさ

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2006年12月21日 (木)

日比谷公園の紅葉2006

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 今週日比谷公園のモミジが紅葉の最盛期を迎えました。特に、公園の西側、霞門の近くにある雲形池の周囲に植えられているモミジの紅葉が見事でした。

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 雲形池の中央には、鶴の噴水があり、解説板には次のとおり蘊蓄(うんちく)が記されております。

 この噴水は、明治38年(注:1905年)頃東京美術学校(現在の東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声両氏に依頼製作したもので、公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものとのことです。(1番目は長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面公園)
 当初は鶴と台座とも銅製でしたが戦時中の金属回収で台座が石造りとなったものの、水面に薄氷が張り鶴の像につららが下がる景色は、当公園の冬の風物詩となっています。

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 日比谷公園には公園の北東の隅、有楽門の近くにもう一つの池があり、心という字の形をしているかとかで、心字池と名付けられています。確か何年か前に、この池の東側の丘に登って反対側(池の西側)のベンチ付近にいる人々を描写するシーンが出てくる作品が芥川賞を受賞し、そのせいでわざわざこの池を見に来た覚えがあります。

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 写真の説明をします。1~4枚目は雲形池とその周囲のモミジの紅葉です。4枚目には雲形池の中央に鶴の噴水が写っています。5枚目は第二花壇近くの見事なモミジの紅葉です。ちなみに背景に写っているビルは、1枚目が大和生命ビル、2枚目がみずほ銀行本店ビル、4枚目が左から建替え中の日比谷パークビル(ザ・ペニンシュラ東京が入居予定)、東京宝塚ビル(中に宝塚劇場があります)、帝国ホテル、そして5枚目が再びみずほ銀行本店ビルです。6枚目は松本楼付近のイチョウの落葉による絨緞(じゅうたん)、7枚目が第二花壇付近の最後に残っているイチョウの黄葉の1本と大噴水です。日比谷公園では、イチョウ黄葉の最盛期はモミジよりおよそ2週間程早いようです。

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  • 年忘れ モミジの紅葉 彩を副え

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2006年12月15日 (金)

12月上旬の花(キク、バラ、ハイビスカス)

Himg0117_1Himg0118_1  我が家の坪庭に咲いていた12月上旬の花を紹介します。

 まずは菊です。大型の厚物は手間がかかるので、最近は放っておいても構わないスプレー菊を育てています。左Himg0119 Himg0125_1側1枚 目の写真は路地植えのスプレー菊、右側1・2枚目の写真は鉢植えの黄と赤の菊(嵯峨菊のようです)です。

 今年は暖かいので、秋バラが今頃咲いていました。左側2枚目の写真はクイーンエリザベスですが、この季節の花Himg0123Himg0115_1は小振りですが長持ちします。

 11月の初めに季節外れのハイビスカス(別名:ブッソウゲ(仏桑花)、品種:カンヌ)の花が咲いた記事を書きましたが、何と今年は12月にも一輪咲いてくれました。左右3枚目の写真がそうなのですが、左側が12月3日の様子で右側が12月7日の様子です。真夏ではたった1日しか持たないハイビスカスの花が、今のシーズンでは約1週間もの間、目を楽しませてくれました。

  • 温暖化 師走にも 花の宴

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2006年12月 8日 (金)

大エルミタージュ美術館展と上野公園の紅葉

Himg0112_1  先週末上野公園(上野恩賜公園)にある東京都美術館で、大エルミタージュ美術館展を観て参りました。展覧会の副題が、「いま甦る巨匠たち400年の記憶」そして「ヴェネツィア派からモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソまで」とあり、かなりの意気込みが窺えます
 この展覧会は3フロアーを使い、ロビー階に「Ⅰ家庭の情景」として20Himg0109点、1階に「Ⅱ人と自然の共生」として39点、そして2階に「Ⅲ都市の肖像」として21点、合計80点もの絵画が展示されておりました。いつものとおり進化した音声ガイドを利用して素早く鑑賞したわけですが、私の印象に残ったものは、フラマン、クナウス、ルノワール、ゴーギャン、マチス、ルソーらの絵画でした。ゴーギャンの絵は本展覧会のテーマの絵にもなっております。このHimg0110_1展覧会の会期は、クリスマスイブ、12月24日(日曜)までです。まだご覧になっていない方は早めにいらして下さい。

 エルミタージュ美術館はロシアのサンクトペテルブルグにあります。サンクトペテルブルグは、ロシア皇帝ピヨトール1世が何もないところに一からHimg0114_1築き上げたロシアの首都です。エルミタージュとはフランス語で「隠者の庵」という意味らしく、元々はエカテリーナ2世の絵画コレクションをプライベートに展示していた場所(王宮)であったそうです。後に一般に公開される訳ですが、展示室が約1000もあり、鑑賞するために歩く総距離が何と28㎞もあると聴かされ、とても驚きました。ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館と併せて、世界の三大博物館と呼ばれているそうです。

 ところで、上野公園は紅葉の真っ盛りでした。紅葉の写真を説明します。Himg0107上から、①東京国立博物館(左下隅)と紅葉、②水上音楽堂近くのモミジの紅葉、③不忍池・ボート池と紅葉(上野精養軒が右上隅にわずかに観えます)、④噴水横の紅葉と月齢11日位の月、⑤(突然新宿ですが)新宿中央公園の紅葉と水の広場でのフリーマーケット(蚤の市)(左隅)です。なお、上野公園は、江戸幕府三代将軍徳川家光の命により天海僧正によって1635年(寛永2年)に建立された寛永寺の境内跡だそうです(出展「江戸下町情緒―上野恩賜公園」)。

  • 紅葉と エルミタージュの 競演か

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2006年11月20日 (月)

日光山輪王寺逍遥園の紅葉

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 普段は見落としそうな日光山輪王寺の逍遥園(しょうようえん)ですが、紅葉の季節には外せません。園内の解説板によれば、次のとおりです。

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     逍 遥 園
 この庭園は、逍遥園といい、江戸初期の造園、小堀遠州の作と伝える回遊式庭園である。
 池を中心に、鶴亀に擬した中島と岬とが配置されており、四季折々の風情に富み、花木が織りなす美しさは格別である。かっての当輪王寺法親王宮の本坊の庭として、今に伝えられている。
 江戸後期の儒者佐藤一斎は、庭園の勝処八景をあげて「逍遥園」と名づけた。

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 写真の説明をします。それぞれ、1枚目が青空と紅葉、2枚目が紅と黄の紅葉のグラデーション、3枚目が足元の綺麗な苔、4枚目が池と紅葉、最後の5枚目が見事に紅葉した1本のモミジです。

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  • 上人の 信仰が今に 輪王寺

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2006年11月19日 (日)

日光山内の紅葉

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 やはり日光のハイライトは、世界遺産に登録されている、日光山内の二社一寺です。(社)日光観光協会オフィシャルサイトのパーフェクトガイドによれば、日光山内とは次のとおりです。

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 日光山内という地名は、日光東照宮、日光山輪王寺(りんのうじ)、二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)、輪王寺大猷院(たいゆういん)のある一帯をさす。日光市街とは大谷川(だいやがわ)が境となり、市街から日光橋(または徒歩で神橋)を渡ると日光山内に入る。
 2つの神社(日光東照宮、日光二荒山神社)と1つの寺(大猷院を含めた日光山輪王寺)を、一般に二社一寺と呼び、二社一寺共通の拝観券もある。
 日光の歴史は勝道上人(しょうどうしょうにん)から始まる。開祖である勝道上人は、下野国芳賀郡(しもつけのくにはがぐん)(現在の栃木県真岡(もおか)市南高岡)の人で、735年(天平7年)に生まれた。7歳のある夜、明星天子(みょうじょうてんし)が夢に現れ、「仏の道を学び、日光山を開け」と告げたという。お告げに導かれ、勝道上人と10人の弟子は766年(天平神護2年)に大谷川を渡り、782年(天応2年)に二荒山(男体山)山頂を極め日光を開いた。

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 二社一寺を巡る日光山内の歩きは、日光山輪王寺⇒日光東照宮⇒二荒山神社⇒輪王寺大猷院と回るのが正式順路のようです。ご存知のとおり、日光山輪王寺(天台宗三本山の一つ)と二荒山神社は勝道上人が創建したものです。しかし、日光東照宮は、死後朝廷から東照大権現という神号を贈られた徳川家康を神として祀る霊廟(神社)です。また、輪王寺大猷院は徳川幕府3代将軍・徳川家光が眠る霊廟(寺院)で、大猷院とは死後家光が朝廷から賜った法号の頭文字を組み合せたものとのことです。

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 写真を説明しますと、上から1枚目が表参道の紅葉、2枚目が輪王寺三仏堂と紅葉、3枚目が輪王寺逍遥園(別記事で紹介)に入ってすぐの見事な紅葉、4枚目が東照宮表門(仁王門)から一ノ鳥居(石鳥居)方向(その先に表参道があり、そのまた先は江戸・東京方向といわれています)を望んだ紅葉、5枚目がたまたま展示されていた東照宮菊花展優秀作品、6枚目が二荒山神社大鳥居すぐ横の大猷院仁王門付近の見事な紅葉です。

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  • 日光は 維新・戦災を 乗り越えて

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2006年11月18日 (土)

日光の滝と紅葉#2(華厳滝・霧降滝)

 いよいよ華厳滝です。エレベータ(有料)で降りると滝壺近くの観瀑台に出られますが、そこの御案内板によれば次のとおりです。

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 男体山の噴火で生まれた中禅寺湖の湖水が大尻(おおしり)川となって流れ出し、この大岩壁から一気に落下する壮大な雄姿が華厳滝です。
     高さ     97.0m
     落口巾     7.0m
     滝壺深さ    4.5m
     落水量 (毎秒1.3トン)
(注:落水量の数字はその日の水量により変更されます。この日の水量は多い方だと思います)
 華厳滝を囲むこの岩盤壁は上部から安山岩、集塊岩、石英斑岩とで形成され中段の細い滝の数々は十二滝と呼ばれています。滝の流れは観瀑台直下の涅槃(ねはん)滝にかかり大谷(だいや)川となって鬼怒川に合流しています。

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 写真の説明をします。上から1枚目は滝壺近くの観瀑台から撮った華厳滝全容、2枚目は同じ観瀑台から滝上部と柱状節理、3枚目が駐車場横の観瀑台から見下ろした滝壺です(紅葉は落葉でした)。

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 また、(社)日光観光協会オフィシャルサイトのパーフェクトガイドによれば、自殺の名所になったいきさつも含めて次のように紹介している(一部抜粋)。

 日光には四十八滝といわれるくらい滝が多いが、最も有名なのが華厳滝である。高さ97mをほぼ一気に落下する豪快さと、自然が作り出す華麗な造形美の両方をあわせ持つ。和歌山県の那智の滝、茨城県の袋田の滝とともに「日本の三大名瀑」とも呼ばれる。名称は涅槃滝、般若(はんにゃ)滝などと一緒に仏典の「釈迦の五時教(ごじきょう )」から名づけ られたらしい。
 滝を間近で観覧できるようになったのは、1900年(明治33年)。7年もの歳月をかけて星野五郎平(ごろべい)が滝壷近くに茶屋を開いた。そして1903年(明治36年)5月、18歳の旧制一高生であった藤村操がミズナラの木に「巌頭之感」を書き残して投身自殺をして以来、自殺の名所にもなってしまった。堅い岩盤をくり抜いたエレベーターが営業を開始したのは1930年(昭和5年)になってからである。
 6月にはたくさんのイワツバメが滝周辺を飛び回る。1月から2月にかけては十二滝と呼ばれる細い小滝が凍るため、華厳滝はブルーアイスに彩られる。

 藤村操の「巌頭之感」やその背景については、「小さな資料室」の資料にとても詳しく掲載されています。以下に、明治のリアリティを出すために、「巌頭之感」を元々使われていた旧字体の漢字を含めて引用します。藤村操の死は、彼が通っていた旧制一高で英語を教えていた夏目漱石にも影響を及ぼしているようです。漱石は藤村が予習をしてこなかったことで藤村を叱っていたため、藤村の死は自分が原因のように思ったようです。後に、藤村の死は麹町の女子学院に通う1歳年上の馬島千代さんへの片思い(プラトニックラブ)が引き金という説の証拠となる「恋人への遺書」が偶然見つかったりして、新しい展開があるようです。

     巌 頭 之 感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

Photo_3

 日光の滝を見るためには、もちろんいろは坂を登り、下った訳です。山道でも、愛車レクサスIS250は快適でした。4枚目の写真は雪の中禅寺湖、5枚目の写真はいろは坂のふもとの大谷川岸の駐車場のドウダンツツジと山の紅葉です(右端に愛車IS250の鼻先が観えます)。

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 日光の最後の滝は霧降滝です。日光市街から霧降高原道路の方向に少し上ったところにあります。6枚目の写真は山のレストランの2階の展望室から撮ったものです。山の見事な紅葉の中に、二段になった霧降滝が優美に流れ落ちています。滝は、上段が25m、下段が26m、高さが75mあるそうです。

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  • 真っすぐに 落ちる奔水 すべて絶つ
  • 天上の 滝と紅葉 彩の国

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2006年11月17日 (金)

日光の滝と紅葉#1(湯滝・竜頭滝)

 那須高原は紅葉も終盤で、モミジが少ないため、何となく全体が褐色で華やかな色合いに欠けるような感じでした。ただ、那須高原は広大で、いろいろなアミューズメント施設があり、商店もレストランもホテル・旅館もそろってります。そして、温泉もあるし、牧場もあるし、御用邸もあり、まず飽きのこない場所のようです。
 那須はこれくらいにして、日光の滝と紅葉(ほとんどが落葉ですが)をご紹介します。上流から下流方向に紹介して参ります。まず奥日光湯元温泉にある湯ノ湖から流れ落ちて、湯川に注ぐ湯滝(1枚目の写真)です。湯滝は高さ75m、幅25m、落差50mの結構大きな滝です。この日は雨で水量が多く、私の知っている岩肌を薄い絹衣のように流れる滝とは相当にイメージが違いました。

1_1

 次に、湯川が戦場ヶ原を流れ下り、菖蒲ヶ浜で中禅寺湖に注ぐのですが、その少し上流側に竜頭滝(2枚目の写真)があります。男体山(なんたいさん)噴火により流出した溶岩の上を210mにわたって、階段状に流れ落ちています。滝壺近くで大きな岩によって二つの流れに分断されていますが、滝壺に流れ落ちる様子を正面から観ると竜の頭に似ていることから名付けられたといわれます。確かに写真をじっと眺めていると、中央部分が竜の頭と顔に見えて参りました。10月中旬であれば、竜頭滝の両側にモミジがあり、滝と紅葉の見事な コントラストが観られるはずでした(末尾のアフィリエイト広告の写真を見て下さい)。滝壺の横にあり、そこから竜頭滝を眺める龍頭之茶屋に、面白い「水五則」がありましたので、以下にご紹介します。

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     水 五 則
一、自ら活動して他を動かしむるのは見ずなり
一、常に自己の進道を求めてやまざるは水なり
一、障碍に逢い激してその勢いを百倍し得るは水なり
一、自らを清うして他の汚れを洗うは水なり
一、洋々として大洋をみたし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霧と化し凝っては玲瓏たる鏡となりてしかもその本性を失わざるは水なり
         九十五叟 雲巌 憲道

 さて、いよいよ次は華厳滝(3枚目の写真)ですが、長くなってきましたので次の記事にします。

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  • 岩肌を 流れる水の 清らかさ
  • 千変の 水に守られし 奥日光

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2006年11月16日 (木)

塩原温泉もみじ谷大吊橋と紅葉

 日塩もみじラインを抜けると、塩原温泉・塩原渓谷の地域に入りました。この地域の紅葉もちょうど見頃でした。渓谷の散策ルートもあり、途中に滝や混浴露天温泉風呂等もあるのですが、時間がなかったので近年1999年(平成11年)4月に完成したもみじ谷大吊橋に向かいました。この橋は箒(ほうき)川に架かる全長320mの日本一の無補剛桁(ほごうげた)歩道吊橋で、総工費5億8千万円をかけたものだそうです。何が日本一かは橋の解説板によれば、次のとおりです。

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 なぜ日本一なの?/もみじ谷大吊橋は、長さが320m、歩く幅が1.5mの「無補剛桁」という形式の歩道吊橋です。歩道吊橋の型式には、耐風索(横揺れを防ぐワイヤーロープ)があるものやないものがあり、耐風索があるものは、一般的に「無補剛桁」という型式です。耐風索がないものには、重橋床桁・ボックス桁・トラス桁という型式があります。それぞれの型式で日本一長い吊橋がありますが、このもみじ谷大吊橋は、「無補剛桁」という型式の吊橋では、今まで日本一だった315mの吊橋を抜いて、日本一の長さを誇る無補剛桁歩道吊橋になりました。

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 実際に大吊橋を渡ると、橋の上にいる人数が少なければ余り揺れないのですが、数十人が同時に渡るとかなり揺れます。写真は、上から大吊橋を渡った対岸から見たもみじ谷大吊橋と紅葉(水面は塩原ダムの湖面です)、次に大吊橋の上から望んだ箒川上流方向の紅葉、最後に対岸からダム湖面越しに望む紅葉です。

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  • 塩原の 大吊橋の 新名所

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