全都道府県訪問#43 沖縄県#5(首里城・守礼門・玉陵)
第3日目は快晴でした。ホテルからは残波岬の灯台とホテルがよく望め(1枚目の写真)、またプールサイドのハイビスカスも咲き誇っておりました(2枚目の写真)。
最終日はいよいよ那覇市に向かいました。今回も沖縄自動車道を利用しましたが、結構スムーズに那覇市内に到着しました。まず向かったところは、当然首里城公園です。首里城では、ちょうど沢山のラン人形を飾った花まつりの最中でした。首里城公園では、一気に記しますが、守礼門(3枚目の写真、私の好きな2千円札の図柄です)⇒園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)⇒歓会門⇒龍樋⇒瑞泉門⇒漏刻門⇒日影台(にちえいだい)⇒供屋・万国津梁(しんりょう)の鐘⇒広福門⇒下之御庭(しちゃぬうなー)⇒系図座・用物座⇒首里森御嶽(すいむいうたき)⇒京の内⇒奉神門⇒御庭(うなー)⇒南殿・番所(ばんどころ)⇒書院・鎖之間(さすのま)〔一般公開されたばかり〕⇒正殿(4枚目の写真)⇒黄金御殿(くがにうどぅん)・御内原(おうちばら)〔復元工事中〕⇒下庫理(しゃちぐい・正殿1階)と御差床(うさすか)⇒大庫理(うふぐい・正殿2階)と御差床⇒北殿⇒右掖門⇒久慶門⇒守礼門⇒玉陵(たまうどぅん)の順で観光しました。
琉球王国の栄華を物語る世界遺産である首里城跡、首里城のパンフレットの説明は次のとおりです。
首里城の創建は14世紀頃といわれていますが、詳しいことはわかっていません。その後、1406年に尚巴志が琉球国支配のための居城として以来、1879年、最後の国王・尚泰が明治政府に明け渡すまで、約500年にわたって琉球王国の政治・外交・文化の中心地として栄華を誇りました。首里城には中国や日本、東南アジアなどどの交易から様々な文物がもたらされ、漆器、染織物、陶器、音楽など、琉球独特の文化が花開いたのです。
1945年の沖縄戦で灰燼に帰した首里城は、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して復元されました。鮮やかな朱色に彩られたその姿は、王国の歴史・文化の息吹を伝える殿堂であり、沖縄のシンボルそのものといえるでしょう。
かって、首里城正殿2階の大庫理には、中国皇帝から贈られた書を扁額に仕立てて9枚掛けていたそうです。現在その内3枚が復元されていて、御差床の上にも1枚がかざられており(5枚目の写真)、「中山世土(ちゅうざんせいど)」とあります。「中山世土」は清朝第4代皇帝康熙帝(こうきてい)から尚貞王(しょうていおう)に贈られたもので、「中山は代々、琉球国王の国である」との意味だそうです。
一方、園比屋武御嶽石門(6枚目の写真)については、案内板によれば「石門とその奥の森を園比屋武御嶽といい王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが本殿に相当する建物はなく石門の後ろに広がる森がそれにあたるという。石門の創建は尚真(しょうしん)王時代の1519年。1933年には旧国宝に指定されたが沖縄戦で大破。1957年に復元され、後に解体修理し1986年に完成した」とのことです。
次に、玉陵(7枚目の写真、左から東室、中室)ですが、ここは首里城から少し離れて西に下ったところにあるせいか、訪れる観光客は極端に少ないようでした。パンフレットの説明は次のとおりです。
玉陵は、1501年、尚真王が父尚円(しょうえん)王の遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となりました。
墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造り建造物になっています。墓域は、2,442㎡。
沖縄戦で大きな被害を受けましたが、3年余りの歳月をかけ、修復工事が行なわれ、往時の姿を取戻して今日に至っています。
最後に仮説の蘊蓄を披露します。なぜ沖縄そばは、明らかにソバ粉ではなく小麦粉を練って作ったものなのに、「うどん」と呼ばずにに「そば」と呼ぶのでしょうか。私は、沖縄では御殿や陵を「うどぅん」と読むことと関係しているのではないかと考えました。紛らわしいですよね。本件ご存知の方がいらしたら、本当の話をそっと教えて下さい。おまけに、歓会門の両側に鎮座している可愛いシーサー(石獅子)を8枚目の写真でご紹介します。
- 沖縄を 戦場にした 傲慢さ
首里城を救った男―阪谷良之進・柳田菊造の軌跡
著者:野々村 孝男 |
首里城の起源を探る―エッセイで楽しむ沖縄の歴史再発見
著者:宮野 賢吉 |
琉球王国の歴史―大貿易時代から首里城明け渡しまで
販売元:月刊沖縄社 |
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