« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月の10件の記事

2007年2月25日 (日)

河津桜へのいざない

20052  一昨年のちょうど今頃、河津桜を観に参りました。今だったら絶対に車で行くか、現地でレンタカーを借りるのですが、その頃はカーナビのない車を地図を見ながら運転するのは煩わしく思い、電車と徒歩と観光バスを組み合わせて観光しました。旅程は概略次のとおりです。

  • 20052_1第1日目
    • 伊豆急で河津駅到着
    • 河津川に沿ってほぼ満開の河津桜を鑑賞
    • 昼食として名物天城産の山葵の根と葉を使ったとろろそばを食す
    • 河津八幡神社(河津三郎の力石)、涅槃堂(日本三大寝釈迦霊場とのことですが、不思議な場所にあります)、河津桜原木、来宮神社・大楠を観光
    • 夕食として地元水揚げの魚料理を堪能
    • 河津駅から隣の今井浜海岸駅に戻り、今井浜温泉に宿泊
  • 第2日目
    • 今井浜海岸駅からまた隣の伊豆稲取駅に戻り、東海バスの観光バスに乗車
    • 稲取雛の館でつるし雛鑑賞
    • 河津桜鑑賞・河津桜の苗木購入
    • 天城・浄蓮の滝観光
    • 伊東で観光バスを降り、活きのいいネタの寿司を堪能
    • JR東駅から帰路へ

220052  雛のつるし飾りは、伊豆稲取温泉に江戸時代から伝わる風習で、桃の節句に、はぎれで作ったぬいぐるみを竹ひごの輪から赤い糸に下げて雛壇の両側につるすとのことです。初節句を迎える娘の無病息災、良縁を願い、お祈りする飾りだそうです。

 河津桜は、緋寒桜と早咲き大島桜の自然交配種と考えられているそうです。開花時期が早く、2月上旬から3月上旬まで約1ヶ月以上にわたって咲いています。花が大きくピンク色なのが特徴です。1975年(昭和50年)4月から河津町の木として指定されています。

Himg0355

 1枚目の写真は河津川河畔の満開の河津桜で、花の蜜を吸いにメジロ(目白)が沢山集まっていました。2枚目の写真は河津桜原木です。3枚目の写真は浄蓮の滝で、2月なので余り木の葉が茂っていません。買った苗木は早くも翌年から咲き始めていますが、今年の咲きかけの様子はこの記事をご覧下さい。4枚目の写真は、この我が家の河津桜の最近の開花状況です。この河津桜が咲いている時季は、東京にも棲息しているメジロのつがいがしばしば我が家を訪れます。ところで、メジロは体が黄緑色をしていて目の周りが白い小型の鳥で、よく鶯(ウグイス)に間違えられることがあります。

  • 偶然の 河津桜に 人の波

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月22日 (木)

全都道府県訪問#43 沖縄県#6(識名園・国際通り)

 最終日は次に識名園に向かいました。ここは、実に風光明媚で、静かないい雰囲気のところでした。識名園は、那覇市の南東部、南風原(はえばる)町との境界近くにあり、バスか車を利用してしかアクセスできないためか、玉陵ほどではありませんが、やはり空いてて自由に思う存分散策することができました。パンフレットによれば、識名園の概要は次のとおりです。

Himg0332

 識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。18世紀の終わりごろつくられ、1800年に尚温(しょうおん)王冊封(さっぽう)のため訪れた正使趙文階、副使李鼎元を招いています。
     (中 略)
 識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園」になっています。「廻遊式庭園」は、近世に日本の諸大名が競ってつくるようになった造園形式ですが、識名園の池に浮かぶ島には、中国風あずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、琉球独特の工夫が見られます。
 識名園は、かって春は池の東の梅林に花が咲いてその香りが漂い、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗が美しい花を咲かせ、「常夏」の沖縄にあって四季の移ろいも楽しめるよう、巧みな気配りがなされていました。
 指定面積は約41,997㎡(約12,726坪)で、そのうち御殿をはじめとするすべての建物の面積は、合計で643㎡(約195坪)となっています。1941(昭和16)年に国の名勝に指定されましたが、去る大戦によって壊滅的な破壊を受けました。1975(昭和50)年から整備が進められ、約20年の歳月と約8億円にも上る費用を費やして、ようやく今日のような姿を取り戻しました。1976(昭和51)年1月30日、再び国の名勝の指定を受け、2000(平成12)年3月30日には、特別名勝に指定され、さらに同年12月2日、ユネスコの世界遺産に登録されました。

Himg0334

 1枚目の写真は、識名園・滝口の方から御殿、六角堂、アーチ橋、池を望んだもので、中島にある樹はコバテイシ(モモタマナ)です。2枚目の写真は、識名園・勧耕台から南方を望んだ風景ですが、沖縄にしては海が一切見えない大陸風の景色であり、中国大陸からの使臣はこれを眺めて心を和ませたそうです。

Himg0336

 そして次に那覇のメインストリート、国際通りに向かいました。コインパーキングに車を駐車し、散策しました。デパートやブランド店もあるのですが、大雑把に言って観光土産店と飲食店の通りという感じでした。鍵石(キーストーン)でお土産を少し買いました。3枚目の写真は、国際通り西側の入口にあるシーサー像と通りです。

Himg0338

 ついに那覇空港に向かう時間が参りました。レンタカーを返却し空港に到着すると、ちょうど綺麗な夕日が東シナ海に沈むところでした(4枚目の写真)。空港の沖縄郷土料理の店で、沖縄料理をさらに堪能して帰路に就きました。さて、沖縄で楽しんだ郷土料理を列挙しますが、皆さんはいくつご存知でしょうか。

ゴーヤーチャンプルー、沖縄そば、豆腐よう、ゆし豆腐、もずく酢、海ぶどう、ミミガー、ソーキ、ラフテー、アグー、グルクン、…

  • 好天の 冬の沖縄 名残惜し

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

Book ガイドブック識名園

著者:沖縄出版編集部
販売元:沖縄出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

沖縄・国際通り物語―「奇跡」と呼ばれた一マイル Book 沖縄・国際通り物語―「奇跡」と呼ばれた一マイル

著者:大浜 聡
販売元:ゆい出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

沖縄文化論―忘れられた日本 Book 沖縄文化論―忘れられた日本

著者:岡本 太郎
販売元:中央公論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

癒しの島、沖縄の真実 Book 癒しの島、沖縄の真実

著者:野里 洋
販売元:ソフトバンク クリエイティブ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年2月21日 (水)

全都道府県訪問#43 沖縄県#5(首里城・守礼門・玉陵)

Himg0274

 第3日目は快晴でした。ホテルからは残波岬の灯台とホテルがよく望め(1枚目の写真)、またプールサイドのハイビスカスも咲き誇っておりました(2枚目の写真)。

Himg0275

 最終日はいよいよ那覇市に向かいました。今回も沖縄自動車道を利用しましたが、結構スムーズに那覇市内に到着しました。まず向かったところは、当然首里城公園です。首里城では、ちょうど沢山のラン人形を飾った花まつりの最中でした。首里城公園では、一気に記しますが、守礼門(3枚目の写真、私の好きな2千円札の図柄です)⇒園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)⇒歓会門⇒龍樋⇒瑞泉門⇒漏刻門⇒日影台(にちえいだい)⇒供屋・万国津梁(しんりょう)の鐘⇒広福門⇒下之御庭(しちゃぬうなー)⇒系図座・用物座⇒首里森御嶽(すいむいうたき)⇒京の内⇒奉神門⇒御庭(うなー)⇒南殿・番所(ばんどころ)⇒書院・鎖之間(さすのま)〔一般公開されたばかり〕⇒正殿(4枚目の写真)⇒黄金御殿(くがにうどぅん)・御内原(おうちばら)〔復元工事中〕⇒下庫理(しゃちぐい・正殿1階)と御差床(うさすか)⇒大庫理(うふぐい・正殿2階)と御差床⇒北殿⇒右掖門⇒久慶門⇒守礼門⇒玉陵(たまうどぅん)の順で観光しました。

Himg0310

 琉球王国の栄華を物語る世界遺産である首里城跡、首里城のパンフレットの説明は次のとおりです。

 首里城の創建は14世紀頃といわれていますが、詳しいことはわかっていません。その後、1406年に尚巴志が琉球国支配のための居城として以来、1879年、最後の国王・尚泰が明治政府に明け渡すまで、約500年にわたって琉球王国の政治・外交・文化の中心地として栄華を誇りました。首里城には中国や日本、東南アジアなどどの交易から様々な文物がもたらされ、漆器、染織物、陶器、音楽など、琉球独特の文化が花開いたのです。
 1945年の沖縄戦で灰燼に帰した首里城は、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して復元されました。鮮やかな朱色に彩られたその姿は、王国の歴史・文化の息吹を伝える殿堂であり、沖縄のシンボルそのものといえるでしょう。

Himg0314_2

 かって、首里城正殿2階の大庫理には、中国皇帝から贈られた書を扁額に仕立てて9枚掛けていたそうです。現在その内3枚が復元されていて、御差床の上にも1枚がかざられており(5枚目の写真)、「中山世土(ちゅうざんせいど)」とあります。「中山世土」は清朝第4代皇帝康熙帝(こうきてい)から尚貞王(しょうていおう)に贈られたもので、「中山は代々、琉球国王の国である」との意味だそうです。

Himg0290

 一方、園比屋武御嶽石門(6枚目の写真)については、案内板によれば「石門とその奥の森を園比屋武御嶽といい王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが本殿に相当する建物はなく石門の後ろに広がる森がそれにあたるという。石門の創建は尚真(しょうしん)王時代の1519年。1933年には旧国宝に指定されたが沖縄戦で大破。1957年に復元され、後に解体修理し1986年に完成した」とのことです。

Himg0316

 次に、玉陵(7枚目の写真、左から東室、中室)ですが、ここは首里城から少し離れて西に下ったところにあるせいか、訪れる観光客は極端に少ないようでした。パンフレットの説明は次のとおりです。

 玉陵は、1501年、尚真王が父尚円(しょうえん)王の遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となりました。
 墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造り建造物になっています。墓域は、2,442㎡。
 沖縄戦で大きな被害を受けましたが、3年余りの歳月をかけ、修復工事が行なわれ、往時の姿を取戻して今日に至っています。

Himg0295

 最後に仮説の蘊蓄を披露します。なぜ沖縄そばは、明らかにソバ粉ではなく小麦粉を練って作ったものなのに、「うどん」と呼ばずにに「そば」と呼ぶのでしょうか。私は、沖縄では御殿や陵を「うどぅん」と読むことと関係しているのではないかと考えました。紛らわしいですよね。本件ご存知の方がいらしたら、本当の話をそっと教えて下さい。おまけに、歓会門の両側に鎮座している可愛いシーサー(石獅子)を8枚目の写真でご紹介します。

  • 沖縄を 戦場にした 傲慢さ

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

首里城を救った男―阪谷良之進・柳田菊造の軌跡 Book 首里城を救った男―阪谷良之進・柳田菊造の軌跡

著者:野々村 孝男
販売元:ニライ社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book 首里城の起源を探る―エッセイで楽しむ沖縄の歴史再発見

著者:宮野 賢吉
販売元:那覇出版社(制作)
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book 琉球王国の歴史―大貿易時代から首里城明け渡しまで

販売元:月刊沖縄社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月20日 (火)

全都道府県訪問#43 沖縄県#4(今帰仁城跡のカンヒザクラ・座喜味城跡)

Himg0252

 第2日目は晴れで、読谷村のリゾートホテルからは、残波岬(ざんぱみさき)につながる海岸線がくっきりと見渡せ(1枚目の写真)、またプールサイドのブーゲンビリアも豪華なものでした(2枚目の写真)。

Himg0248

 まず沖縄本島北部西海岸の本部(もとぶ)半島の北側、今帰仁村にある今帰仁城跡(なきじんじょうあと)に向かいました。途中で沖縄唯一の温泉・山田温泉のあるルネッサンスリゾートオキナワの横を通過しました。旅では温泉に必ず入ることにしているのですが、今回の沖縄の旅では叶いませんでした。名護市から本部半島に入ると、カンヒザクラ(寒緋桜)(沖縄ではヒカンザクラ(緋寒桜)のことを通常こう呼んでいるようです)で有名な八重岳も本部半島にあるため、ドライブ中にちらほらと桜の花を観かけました。最大の驚きは、何と今帰仁城跡では満開のカンヒザクラ(大隅に沢山ありました)が出迎えてくれたことでした(3・4枚目の写真)。今帰仁城跡のパンフレットの説明は次のとおりです。

Himg0256

 今帰仁城跡(別名北山城)は、いつ誰によって築かれたかは不明なところが多く定かではありませんが、発掘調査の成果から13世紀頃には城造りを始めたことが分かっています。
 14世紀頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。

Himg0255

 今帰仁城跡の大庭(うーみゃ)からは、広々とした東シナ海を見渡すことができ、晴天なら沖縄本島北端の辺戸(へど)岬はもとより、遠く与論島まで望めるとのことです(5枚目の写真、観える島は伊平屋諸島か)。また城跡には、沖縄を代表する2種類の樹がありました。モモタマナとデイゴです。モモタマナは別名コバテイシ(枯葉手樹)、また方言ではクワディーサーとも呼ばれ、実はアーモンドに似た風味で食用になり、広い日陰を提供する樹として親しまれているようです。デイゴ(梯梧)は沖縄の県花で、別名エリスリナとも呼ばれ、梅雨が明ける頃の5月に赤い花を咲かせ、材は漆器の木地としても利用されるそうです。今帰仁道の駅で、昼食としてソーキ(三枚肉のチャーシュー)そばを食べ、今帰仁産唐辛子を泡盛(今帰仁酒)に漬けた「そ~れ」という香辛料を買い求めました。この香辛料は、沖縄では一般的には「コーレーグース」と呼ばれている家庭の食卓常備のスパイスだそうです。

Himg0258

 次に宿泊しているホテルと同じ読谷(よみたん)村にある座喜味城跡(ざきみじょうあと)に向かいました。今回は沖縄自動車道を利用しましたが、割と空いてて、料金も安かったような気がしました。座喜味城跡の案内板の説明(抜粋)は次のとおりです。

 座喜味城は、15世紀の初頭築城家としても名高い護佐丸によって築かれたといわれる。護佐丸は当初、座喜味の北東約4㎞にある山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志の北山城攻略に参戦、北山攻略後は戦後処理のため一次北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したという。城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120m余りの名護層からなる台地を石灰岩の切石積(きりいしつみ)で取り囲んで築かれており、城は2つの郭からなる連郭式(れんかくしき)の形態になっている。城郭内の面積は約4,012.51㎡で、沖縄のグスクとしては中規模である。
     (中 略)
 城跡は第2次大戦において、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたが、整備の始まった翌年返還された。城壁は1982年に修復を完了した。城壁の上に立つと首里・那覇をはじめ本島西側本部半島や東支那海に浮かぶ慶良間諸島・久米島・伊江島・伊平屋諸島が眺望出来る要害の地にある。

Himg0268

 実に戦争に翻弄された世界遺産と言えそうです。6枚目の写真は二の郭の城壁上から軍備基地のあった一の郭を見下ろしたものです。そういえば時々返還闘争でニュースに取り上げられる「ゾウのオリ(キャンプ・ハンザー)」と呼ばれる楚辺通信所も近所にありました。

  • 大戦にも 翻弄された グスク群

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

泡盛に漬けこんだ本場の旨さ!くせになる沖縄島とうがらし(コーレーグース)150g3本セット 泡盛に漬けこんだ本場の旨さ!くせになる沖縄島とうがらし(コーレーグース)150g3本セット

販売元:えむちゃんねる
楽天市場で詳細を確認する

コーレーグースー(75ml) コーレーグースー(75ml)

販売元:沖縄名産ショップ
楽天市場で詳細を確認する

超おすすめ!爽やかシークヮーサーの辛味調味料シークヮーサー コーレーグース 超おすすめ!爽やかシークヮーサーの辛味調味料シークヮーサー コーレーグース

販売元:地酒横丁
楽天市場で詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月19日 (月)

全都道府県訪問#43 沖縄県#3(中城城跡・勝連城跡)

 初日は次に、中城城跡(ながぐすくじょうあと)と勝連城跡(かつれんじょうあと)に向かいました。両者とも沖縄本島南部の東海岸に位置し、より南側の北中城村にある中城城跡にまず寄り、次に勝連町にある勝連城跡を訪問しました。勝連城跡からの眺めは良く、東の太平洋側には平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島の4島に渡るための海中道路が良く観えました。入手したパフレットによれば、両城跡の解説は次のとおりです。

Himg0225

 中城城跡は、発掘調査によって出土した遺物等から、主要部分の築城は14世紀後半と推測され、北の郭と三の郭は15世紀中期に、勝連城阿麻和利(あまわり)を牽制するため、王命により座喜味城から移封した護佐丸(ごさまる)によって築かれたと言われています。
 当時の最高の築城技術で拡張し、沖縄城郭史上完成期の貴重な城として、また、往時の姿を今の残すグスク美の最高峰としてもよく知られています。
 標高160メートルの石灰岩の丘に立地し、ペリー提督一行も賞賛したとされる美しいアーチ門と3種類の異なる石積み(野面積み、布積み、あいかた積み)で築かれた6つの郭からなる山城です。その築城技術は、芸術的とさえ言われ、歴史的に高い評価を受けています。

Himg0234

 勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力安司(あじ)、阿麻和利が住んでいた城です。阿麻和利は、国王の重臣で中城に居住した護佐丸を1458年に滅ぼし、さらに王権奪取をめざして国王の居城である首里城を攻めたが、大敗して滅びました。阿麻和利が滅ぼされたことによって、首里城を中心とする中山(ちゅうざん)の王権はいちだんと安定しました。
 勝連城における発掘調査では、中国製や日本製の陶磁器類が多量に出土しており、阿麻和利をはじめとする城主が海外との交易を活発に行なっていたことが、推測されます。これらの出土品から、勝連城は12~13世紀に築城されたものと考えられます。

 1枚目の写真は中城城跡の正門横の石積みと石碑で、2枚目の写真は勝連城跡最上段の一の曲輪(くるわ)から見下ろした二の曲輪と駐車場です。

  • グスクから 学ぶ琉球の 歴史かな

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

Book 真説阿麻和利考―歴史と伝承を探る

著者:高宮城 宏
販売元:地方・小出版流通センター
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月18日 (日)

全都道府県訪問#43 沖縄県#2(斎場御嶽)

 2000年12月2日、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」がユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界遺産リストに登録されました。首里城跡、中城城跡、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡の5ヶ所のグスク群、国家祭祀の重要な場所であった斎場御嶽と園比屋武御嶽石門、琉球王家の陵墓の玉陵、そして王家の別邸だった識名園の計9ヶ所が登録されました。
 第1日目は、まず那覇空港から沖縄本島南部・知念村にある斎場御嶽(せーふぁうたき)に向かいました。残念ながら天気は曇りで、岬に向かう海岸沿いの道を走り高台にある御嶽に着きました。入口の案内板には次のような説明がありました。

 「御嶽」とは、奄美諸島から宮古・八重山にいたる南西諸島に広く分布している聖地の総称です。斎場御嶽は、琉球王朝時代に王府が整備した国家的な宗教組織との関連が深い、格式の高い祭祀場でありました。せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名前が示すように、巨岩や聖樹に囲まれた空間には、首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、当時の王府と斎場御嶽の関わりの深さをみることができます。

Himg0214

 やや広い内部を歩いて行き、右側に向かうと斎場御嶽で一番有名な三角岩の所に出ます。三角岩の案内板の説明は次のとおりです。

 自然岩や洞穴に囲まれたこの場所には、いくつもの拝所が集まっています。正面に見える三角形の空間の突き当たりが三庫理(さんぐーい)、右側がチョウノハナの拝所で、いずれも首里城内にある場所と同じ名前を持っています。また、左側からは太平洋と久高島(くだかじま)が遠望できます。
 さて、三角岩の右側には「貴婦人様御休み所」と二本の鍾乳石が見えます。滴り落ちる水はその下に置かれた壺に受けられ、それぞれが中城御殿(なかぐすくうどん)(国王の世子)と聞得大君(きこえおおきみ)御殿の吉兆を占うとともに、お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水でした。

Himg0215

 久高島は、琉球開闢(かいびゃく)神話によれば、沖縄創世の神アマミキヨが最初に降臨し、国創りを始めた所だそうで、三角岩の奥の三庫理から久高島が観えるのは神秘的です。1枚目の写真は三角岩、2枚目の写真は二本の鍾乳石です。

  • 神話から 始まる国の 琉球で

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

沖縄・美ら島百景 本島・宮古島を訪ねて/映像遺産・ジャパントリビュート 沖縄・美ら島百景 本島・宮古島を訪ねて/映像遺産・ジャパントリビュート
販売元:イーベストCD・DVD館
イーベストCD・DVD館で詳細を確認する

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年2月17日 (土)

全都道府県訪問#43 沖縄県#1

 2月の連休を利用して、ついに沖縄県に行って参りました。私の全都道府県訪問プロジェクトの第43番目の県になりました。残りは西から、長崎県、佐賀県、高知県、鳥取県の4県になりました。
 まず旅程を明らかにいたします。今回は、主に世界遺産の御嶽(うたき)、城跡(グスクあと)等を回りました。これらの場所を訪問すると、屋外を結構歩かなければならないので、炎天下の夏やハブの活動の盛んな春秋を避けた、今の季節の冬が一番適切な時季であるというのが私の結論です。

  • 第1日目
    • 途中富士山を鑑賞し、那覇空港に到着
    • 那覇空港でレンタカー借用
    • 斎場御嶽(せーふぁうたき)(知念村)観光
    • 中城城跡(なかぐすくじょうあと)(北中城村)観光
    • 勝連城跡(かつれんじょうあと)(勝連町)観光
    • 読谷(よみたん)村のリゾートホテル泊、泡盛と沖縄料理を堪能
  • 第2日目
    • 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)(今帰仁村)観光と寒緋桜鑑賞
    • 今帰仁道の駅で昼食(沖縄そば)
    • 座喜味城跡(ざきみじょうあと)(読谷村)観光
    • 第1日目のホテルに連泊、シャンパンとフランス料理を堪能
  • 第3日目
    • ホテルをチェックアウトし那覇市へ向かう
    • 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)観光
    • 首里城観光
    • 玉陵(たまうどぅん)観光
    • 識名園(しきなえん)観光
    • 国際通り観光
    • 那覇空港でレンタカー返却
    • 那覇空港で沖縄郷土料理を楽しむ
    • 那覇空港を出発

Himg0206

 1日目は曇りでしたが、2日・3日目は天気がよく最高の沖縄でした。これから、観光したスポットを少しずつ紹介して参ります。写真は、飛行機の窓から望んだ富士山です。前方の都市は多分富士市で、左後方の雪を冠った山脈は北アルプスだと思います。

  • 沖縄の 固有の歴史 今いずこ

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

沖縄の歴史と旅 Book 沖縄の歴史と旅

著者:陳 舜臣
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月16日 (金)

白梅と河津桜(2月の花)

Himg0339 Himg0342  今年は、アル・ゴア氏制作の映画「不都合な真実」 が予言しているとおりなのか、冬でも異常に暖かい日が続いておりますね。我家の坪庭でも2月上旬から白梅が咲き始め、今週はもう五分咲きになっています。そして、今週河津桜も咲き始めました。今Himg0348年はいつも期待する梅と桜の競Himg0343演がしばらく観られそうです。そう言えば、北海道では確かいつも5月に梅と桜が揃い咲きするはずです。
 1月下旬からは椿も咲き始めており、また今週は、背が低く下向きに咲くので余り目立たないのですが、クリスマスローズも咲き始めました。それから、冬のHimg0345Himg0350鉢植えとして飾ったプリムラ ジュリアンもずっと元気に咲き続けております。
 写真は左側1枚目が白梅の花、右側1枚目が河津桜の花、左側2枚目が椿「玉之浦」(長崎の椿)の花、右側2枚目がクリスマスローズの可憐な花、左右3枚目がプリムラジュリアンです。

  • 暖冬に 梅と桜の 競演か

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月15日 (木)

書籍「ヤバい経済学」を読んで

 スティーヴン・D・レヴィットとスティーヴン・J・ダブナーが共著した書籍「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する」を読みました。実に久し振りに「目から鱗が落ちる」感じがしました。世の中には同時に起きる2つの現象を、原因は別にあるにもかかわらず、間違って原因と結果にしていることが多いのではないかと改めて思いました。例えば、安易な例ですが、風邪を引いたために熱が出てフラフラする場合を考えてみましょう。本当の原因(病因)は風邪で、熱が出ることとフラフラすることは現象(症状)のはずです。しかし、我々は時として熱が出ているのでフラフラすると考えることがありますね。

 本書では、このような原因と現象を取り違えそうな話が沢山紹介されております。突っ込んだ内容は今後の読者のためにもちろん差し控えますが、次のような話題が出て参ります。いずれも確実な統計データが入手できるものについて、回帰分析を行い相関があると考えられる2つの事項に関して、それらが同時に発生する現象同士(相関関係)なのか原因と結果(因果関係)なのかを面白く分析・推論しております。

  • 学校の先生と相撲の力士は一部インチキをする者がいる
  • ク・クラックス・クランと不動産屋さんは情報の力でもっている
  • ヤクの売人はトップの一部が儲かっているだけ
  • 犯罪の減少に役立ったと言われていることはかなり的外れ
  • 完璧な子育てに役立つと思われていることもかなり的外れ

 私は、4番目の点を日本の交通事故死者数と比較して述べたいと思います。本書では、米国では1990年頃までは犯罪が増加し続けていたが、1990年代初めに犯罪発生率が下がり始め結局40年前の水準に戻ったことを紹介しています。犯罪減少の説明としては、①画期的な取締まり戦略、②懲役の増加、③クラックその他の麻薬市場の変化、④人口の高齢化、⑤銃規制の強化、⑥好景気、⑦警官の増員などいろいろなことが提起されたが、この中で間違いなく関係あるのは②と⑦だそうです。しかし、最も犯罪減少に貢献した事実は1970年代初めに中絶が完全に合法化され、将来の犯罪者予備軍となる不幸な生立ちを持った子供達が生まれなかったことだと言うのです。つまり1990年代初めには、ちょうど10代後半から20歳になる犯罪予備軍の数が大幅に減ったと言うのです。本当にこれは裏をかかれたあっと言う指摘でした。

 ところで、この理屈を日本の交通事故死者数がこのところ減少し続けている事実に適用できないかと考えました。交通事故死者数は、1990年頃がピークらしく11,227人でした。それが、1995年には10,679人になり、2000年には9,066人、そして2005年には6,871にまで減少しました。この理由としては、米国の犯罪減少の場合と同様に、取締まりの強化とか警官の増員とかがあるのだと思います。しかし、本当の理由は交通事故を起こしやすい危険な運転をすると言われている若年層の人口が減少傾向にあることではないのでしょうか。若年層は事故の確率が高く、任意の自動車保険でも保険料が割高になっていると思います。例えば、18歳から22歳までの人口を試算してみると、1990年は961万人、1995年は984万人、2000年は817万人、2005年は736万人となります。1995年は戦後まもなく誕生した第一次ベビーブーマーの子供達(第二次ベビーブーマー)がちょうど成人する頃に当たっておりました。交通事故死者数と18歳から22歳までの人口とは相関がありそうですね。これ以上の分析は私にはできませんが、最近若者の目に余る暴走行為も余り人口に膾炙しなくなった(注)ことも考え合わせると、自分の仮説・推論に何となく納得してしまいました。さて皆さんはどうお考えになりますか。

(注)ここの「最近若者の目に余る暴走行為も余り人口に膾炙しなくなった」という表現は、「最近若者の目に余る暴走行為も余り話題にならなくなった」という意味で使いました。話題にならないからといって暴走行為が減っている証拠にはなりませんが、減っている可能性を示す傍証になるかと考えました。Skywriterさんからのコメントで指摘されておりますが、この元々の表現は適切ではないとのことですので、読者の方には真意を汲み取っていただきたいと思います。

  • 真実への 扉を開く ヤバい理屈

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する Book ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する

著者:スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (3) | トラックバック (3)

2007年2月 8日 (木)

映画「不都合な真実」を観て

 先週末、京王線府中駅のすぐ南側にあるモール「くるる」の5階にあるシネマコンプレックス「TOHOシネマズ府中」で、元米国副大統領のアル・ゴア氏が制作した映画「不都合な真実」を観て参りました。
 当然観たい映画から上映している映画館を探した訳ですが、都心ではなくなぜか府中のシネマコンプレックスに目が留まりました。ここは2年程前にできたそうですが、何と9スクリーンもあり頻繁に来ても次々と新しい映画を観られそうです。座席も座り心地がよく、飲物立てと傘立てが各座席にあったのにも注目しました。その上、まだ夫婦50割引を提供してくれており、どちらかが50歳以上であれば通常2人で3,600円のところが何と2,000円になります。さらにいいことに、割と近くの府中ですから当然愛車レクサスIS250で出掛けたい訳ですが、324台収容の大駐車場が付属しており、映画なら3時間まで駐車料金無料となっておりました。家からくるるまでの所要時間もおよそ30分間と至れり尽くせりの条件でした。先に随分映画館の宣伝をしてしまいましたが、多分このせいで今後映画を観る機会が増えそうです。セゾンのポイントカードも作ってしまいましたしね。
 さて、映画そのものの話です。この映画「不都合な真実」は「地球温暖化(Global Warming)」に関するものです。空恐ろしいことに、今年の冬は全国的にとても暖かく、また記録的に少ない降雪量になっていますね。日本各地で、3週間から1ヶ月も早くタンポポや梅や緋寒桜(ひかんざくら)が咲き出しています。気象庁は、暖冬の背景として①北極圏からの寒気の南下が弱いことと②太平洋中東部(いわゆるペルー沖)の海面水温が上昇するエルニーニョ現象を挙げています。ゴア氏はこの映画では、これらは原因ではなく地球温暖化の結果、同時に現れる現象に過ぎないと言っているようです。本当の原因は、人類がわずかここ数10年の間に排出した温暖化ガス、つまりそのほとんどを占める二酸化炭素のせいだと言うのです。現在の二酸化炭素の濃度は過去65万年間のどの時点よりも高く、過去超えたことのなかった300ppmを上回っていると言います。
 さて二酸化炭素濃度が高まると何が起きるのでしょうか。ヒマラヤ氷河の溶解による水不足、熱波、海水の高温化による超巨大ハリケーンの発生、竜巻の多発、洪水の頻発、旱魃と砂漠化、永久凍土の溶解、病害虫の北上、グリーンランドの棚氷の溶解により海流の変化が起き欧州が氷河期に再突入、南極・北極の氷が溶けるために起きる陸地の水没などが帰結だそうです。これは地球環境の崩壊とも言え、我々人類の子孫が生きて行けなくなることを意味します。この不都合な真実を否定せず、見据える必要があります。京都議定書はその大事な一歩だった訳ですが、米国とオーストラリアがまだ批准しておりません。すべての国そして人々が、省エネ、エネルギー効率の改善、自動車の効率改善、公共交通システムの導入、風力やバイオ燃料などのリサイクル可能なエネルギーの使用、炭素の回収・貯蔵などに取り組むことによって、二酸化炭素の濃度を1970年代のレベルまで下げることが可能だと結んでおります。
 今朝いつものように満員電車に乗って通勤し、やや薄ら寒い部屋で勤務し、断熱された家に住む私は、すこしは地球温暖化と闘っているのでしょうか。さらに、余りお湯も使わないように、また風呂にもお湯を溢れる程入れないようにしなければいけないと思いました。他にも個人レベルでいろいろできることがあるのでしょうか。皆さん一緒に研究して、闘いの第一歩を力強く踏み出しましょう。

  • 温暖化 人の叡智で 闘おう

(注)本記事作成には、最後に紹介してある書籍、アル・ゴア著「不都合な真実」(2006年ランダムハウス講談社刊)も参照しました。

是非 人気blogランキング へ

是非 ブログランキング【くつろぐ】 へ

不都合な真実 Book 不都合な真実

著者:アル・ゴア
販売元:ランダムハウス講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (17) | トラックバック (54)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »