愛宕山の桜2010(ヨコハマヒザクラとソメイヨシノ)と愛宕神社
会社の近所の愛宕山に登りました。愛宕山は標高25.7m、東京10名山の一つです。新橋側の通称愛宕下通りに面している86段の正面石段(愛宕神社参道・男坂)からではなく、トンネル横の虎ノ門側の階段(やはり愛宕神社西参道)から登りました。階段を登り切るとNHK放送博物館前に出ました。すると、その前にピンク色の大きな花を咲かせた桜がありました。樹に掛けられていた即席の説明板によれば、ヨコハマヒザクラ(横浜緋桜)と思われるものらしいです。
ヨコハマヒザクラとは、ケンロクエンクマガイとカンヒザクラを掛け合わせてできた品種で、3月下旬に濃いピンクの大輪一重の花を咲かせるようです。名前の由来は、横浜在住の方が創った品種だからということです。愛宕神社の境内にあるソメイヨシノ(染井吉野)に比べると、ひときわ濃いピンク色をしているのでよく目立ちます。次の写真は、NHK放送博物館と愛宕グリーンヒルズを背景にしております。
手水を使って、お賽銭を入れ、愛宕神社に参拝いたしました。境内の愛宕神社御由緒には次のようなことが言及されております。
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。(中略)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年(1958年)再建されました。寛永11年(1634年)三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(86段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年(1860年)には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。
(中略)明治元年(1868年)には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。(後略)
次の写真はソメイヨシノに囲まれた社殿です。
ところで、愛宕神社境内横には、田崎真也氏がプロデュースした和食レストラン「T(てぃ)」があります。今なら次の写真のような桜花を愛でながら、東京の地産池消をテーマとした懐石料理を楽しめるとのことです。
次は愛宕トンネル(愛宕隧道)の虎ノ門側ですが、すぐ横に満開のソメイヨシノがありました。愛宕山に登るための階段(愛宕神社西参道)は、写真トンネル出口に向かって左側にあります。
- 愛宕山 出世の階段 新年度
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