カテゴリー「自動車」の28件の記事

2009年3月14日 (土)

満開を迎えた梅の名所「吉野梅郷」を訪れて(青梅市梅の公園、そして梅の里・九兵衛で食事)

 愛車レクサスIS250を駆って関東有数の梅の名所「吉野梅郷(よしのばいごう)」(東京都青梅市)を訪れました。2月14日(土曜)付日経新聞のPLUS1で、見事「おすすめの梅の名所ランキング」第1位を獲得したので気になっておりました。昨夜から雨模様でしたが、午後3時頃には晴れるという天気予報を信じて昼過ぎに出発しました。明日15日(日曜)は好天が予想され、ちょうど観梅市民まつりが開催予定なので大混雑すると思われました。青梅街道を約30km走って吉野梅郷に到着するころは、予報どおり雨もやみ北西方向には青空が観えました。青梅市梅の公園に近い、個人所有の観梅園に駐車しました(料金800円)。

 梅の公園に向って梅の公園通りを歩いていると、右手に天沢院・梅林山(曹洞宗)がありました。境内にある「お願い地蔵尊」の赤い幟が入口にあり、その裏山が梅の公園を眺める絶好のポイントとの表示が目に付きました。そこで登ってみることにしましたが、雨でぬかるみ足場が悪く滑ってしまいました。次の写真は、1枚目が裏山からの、満開を迎えた梅の公園全景で、2枚目が北西方向、吉野梅郷の全景です。こちらに向かって来ている青空が観えます。

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 いよいよ青梅市梅の公園に入りました(入園料200円)。パンフレットによれば次のとおりです。

 吉野梅郷とは、JR青梅線日向和田駅から二俣尾駅までの多摩川南側、東西4キロメートルに広がる地域で、約2万5千本の梅があります。
 青梅市梅の公園は、この吉野梅郷の中にあり、120品種、1500本の梅がある山の斜面を利用した自然公園です。四が昭和47年に整備し、現在では吉野梅郷を訪れた人は必ず立ち寄る「吉野梅郷のシンボル」となっています。

 入口すぐに山茱萸(さんしゅゆ)の黄色い花が目立っておりました。山茱萸とは別名秋珊瑚(あきさんご)あるいは春黄金花(はるこがねばな)とも呼ばれるそうで、解説板によれば次のとおりです。

 梅(バラ科)ではなく、ミズキ科ミズキ属の落葉小高木で、朝鮮半島・中国原産。江戸中期に渡来。葉は楕円形。
 春に黄色の小花を多数つける。秋には楕円形の実が赤く熟す。
 実は漢方で滋養強壮薬とされ、山茱萸酒なども作られる。

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 滑る足元を気にしながら、山の北斜面を登り始めました。

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 玄海躑躅(げんかいつつじ)の脇を、次の写真では右上部に観える「しだれ梅の滝」を目指して進みます。玄海躑躅は別名トキワツツジとも呼ばれるそうで、解説板によれば次のとおりです。

 ツツジ科ツツジ属の落葉小低木で、岡山県以西、朝鮮半島に分布。葉は楕円形で粗毛が生える。
 カラムラサキツツジの変種とされ、ツツジの中でも華やかな桃色~紅紫色の花を咲かせる。
 園芸用に採取されたため、絶滅の危機に瀕している自生地もある。

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 「しだれ梅の滝」の上部に到着し、しだれ梅の間から梅の公園全景を撮影しました。

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 しだれ梅の滝からやや下り、紅梅越しにしだれ梅を撮りました。

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 紅梅が綺麗です。雨上がりで、山から水蒸気が昇っています。

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 東口に近いところまで来ると、解説板の付された梅の樹が多数植栽されておりました。2種類だけ紹介します。まず、八重祭笠枝垂(やえまつりかさしだれ)です。解説板によれば次のとおりです。

 野梅性の大輪の八重咲き。青梅市梅郷、鈴木文吾氏の先代の実生したものから生まれた新花。半八重咲で花弁の先に裏口紅がのこりしべも美しく散開する。

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 2つ目は幾夜寝覚(いくよねざめ)です。解説板によれば次のとおりです。

 大輪の八重咲き。花色は紅紫色、底紅で、花弁は大きく波を打って抱えて開く。しべの数も梅花中で最も多く、真に優雅で豪華な花である。

 梅の公園のガイドさんが近くで説明しているのが聴こえて参りましたが、百人一首でも歌われている花だそうです。花が大輪なので、重さで上を向いて咲くことができず、すべて下を向いているとのことです。したがって、下から見上げるとすべての花が自分の方に向いて咲いてくれているように観えるという、サービス精神旺盛な花のようです。

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 そうこうするうちに、いよいよ晴れてきて、陽も射して参りました。山の中腹から梅の公園全景を撮影しました。ここは近景の梅花に、雲のような遠景の梅花が絡み合って、そのコントラストが本当に綺麗でした。すっかり青空になりました。

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 梅の公園を出て吉野川沿いに通りを下り、JAのグリーンセンター(農産物直売所)へ向かいました。梅製品と一緒に、青梅の銘酒・五段仕込「澤乃井」を購入しました。そして、早めの夕食と思い、梅料理の店「梅の里・九兵衛」に入りました。梅料理9品が付いた梅郷御膳に舌鼓を打ちました。

  • 雨霽(は)れて 吉野梅郷 馨(かお)り立つ

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2009年1月18日 (日)

東武ワールドスクエアを観て(鬼怒川温泉で一泊)

 鬼怒川温泉で一泊するイベントがあり、愛車レクサスIS250で往って参りました。大泉IC⇒外環道⇒川口JCN⇒東北道⇒宇都宮IC⇒日光宇都宮道路⇒大沢ICというルートで、往復約330km、渋滞もなく快適なドライブでした。鬼怒川温泉は雪もなく安心でしたが、さすがに日曜日の朝は車に一刷毛雪が載っておりました。

 温泉を堪能した翌日、そのまま直帰するのももったいないので、東武ワールドスクエアに寄ることにしました。ここは、世界の有名な建築物や遺跡などを1/25の縮尺で再現しております。これはいかにも日本らしい企画ですね。早速音声ガイドを借りて、入園しました。さすがに真冬だけあって、寒さに震えながらの鑑賞でした。観光客は極端に少ないようですから、写真撮影にはもってこいでした。

 園内は、現代日本ゾーン⇒アメリカゾーン⇒エジプトゾーン⇒ヨーロッパゾーン⇒アジアゾーン⇒日本ゾーンと回遊するようになっております。それでは、それぞれのゾーンで特徴のある展示をご紹介します。

 まず現代日本ゾーンでは、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された旧帝国ホテルです。現代と名付けておりますが、この建築物は東京には現存ぜす、愛知県犬山市にある明治村5丁目67番地に帝国ホテル中央玄関だけが保存されております。

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 アメリカゾーンではフラット・アイロン・ビルがやはり目立ちました。ニューヨーク市マンハッタンの5番街にあるビルで、20世紀初頭に完成した、当地で最古の摩天楼だそうです。すぐ左側がハーレムで、すぐ後ろがエンパイア・ステート・ビルなのはご愛嬌です。

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 エジプトゾーンでは、アスワン南部にあるアブ・シンベル大神殿を紹介します。今から3000年以上前にラムセスⅡ世が建造したものといわれています。入口の像はいずれもラムセスⅡ世ですが、左から2番目が崩れていて地面に頭と胸部が落ちています。アスワン・ハイ・ダムの建設により水没するため、この遺跡は少し高い場所に移設されたのですが、それが世界遺産創設のきっかけとなったのだそうです。

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 ヨーロッパゾーンはさすがに有名建築物が目白押しでした。一番大規模だったのがバチカンのサン・ピエトロ大聖堂、一番美しかったのがフランスのシャンポール城、森の中で一番本物らしく撮影できたのがドイツのノイシュバンシュタイン城、一番楽しそうだったのがスペインのグエルパークでした。最後に、エッフェル塔、ノートルダム寺院、凱旋門、そして遠くにエンパイア・ステート・ビルとワールド・トレード・センター・ビルが共存している写真をご紹介します。

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 アジアゾーンでは、美しい装飾のイランのマスジット・イ・シャー、そして中国の故宮が目を引きました。故宮では、映画「ラストエンペラー」の撮影現場を再現しており、大規模な展示の一つでした。後ろに敦煌・莫高窟が観えるのはご愛嬌です。

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 最後の日本ゾーンでは、紅梅の盆栽が咲いている春日大社、海までリアルに再現されている厳島神社、樹齢80年のイチョウ(銀杏)の盆栽が見物の熊本城、そして我が古里札幌の旧北海道庁舎と時計台をご紹介します。

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 いかがでしたでしょうか。少しは世界一周旅行をした気分になりましたでしょうか。東武ワールドスクエアを後にする前に、売店で日光名物の湯波(ゆば)のお土産を買いました。特に、日光の乾燥湯波は長持ちするのでお買い得です。ところで、京都では湯葉と書くのに、日光では湯波と書きますが、日光ではゆばを二枚重ねにするところが違うので異なる漢字を当てているようです。

  • 二時間で 世界を巡る 面白さ

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2008年12月31日 (水)

お台場でのお正月#1(大晦日:ホテルグランパシフィック LE DAIBA・フジテレビ)

 2009年をホテルグランパシフィック LE DAIBAで迎えることにし、自宅から愛車レクサスIS250で出掛けました。首都高速は空いていて、1時間もかからずに到着しました。部屋は南側(羽田空港側)でしたので、2008年最後(大晦日)の日没を眺めることができました。写真上方にある月は、月齢5日です。

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 2008年最後の夕食は、2階広東料理「楼蘭」でのフルコースです。次の写真は最初の前菜です。

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 夕食後隣のフジテレビ本社ビルの様子を観に参りましたが、とても寒くてすぐに戻って来てしまいました。次の写真は、1枚目がビル正面のツリーのイルミネーションで、2枚目が西側階段のイルミネーション、そして3枚目がビルとその後方に観える大観覧車です。ツリーの下には特設スタジオがあり生番組が放送されていたようでした。階段を駆け上がるリレー大会も催されたようです。

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 部屋で観ていたNHK紅白歌合戦を途中で切り上げ、29階の銀河へ年越しそばを食べに参りました。そして、最後は地下1階のパレロワイヤルでカウントダウンイベントを楽しみました。女性だけで構成された癒しのオーケストラ「フルムス」が音楽を奏でてくれました。威風堂々、くるみ割り人形、マイフェアレディ、キャバレー、美しき青きドナウ、ラデッキー行進曲等が演奏されました。途中カウントダウンで、2009年の到来を祝いました。

  • 難局の 二千八年 暮れにけり

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2008年12月 7日 (日)

伊豆一碧湖の紅葉と日本IBM天城ホームステッドからの富士

 参加している研究会の一つが、日本IBM天城天城ホームステッドで会合を開催することになり、伊豆に出掛けました。せっかくなのでゴルフをすることにし、土曜日の早朝午前3時半にゴールド川奈CCへ向け出発しました。愛車レクサスIS250を走らせ、東名高速⇒小田原厚木道路⇒真鶴道路⇒熱海ビーチライン⇒国道135号線と通り、目的地に到着しましたが、午前6時過ぎということでまだ夜明け前でした。途中小田原PAでソバの朝食をとったので、140km弱の道程を2時間半程度で走破したことになりそうです。

 時間潰しに、伊豆一碧湖に戻り、紅葉の美しい湖の夜明けを写真に撮りました。一碧湖は「伊豆の瞳」と呼ばれるひょうたん型の景観の美しい湖で、歌人の与謝野夫婦も愛したと言われる周囲4kmの湖とのことです。

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中央やや左側に並んでいる6艘の船はバス釣り用でしょうか。

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 高原でしたので、やや寒さに震えながらゴルフを楽しんだ後、日本IBM天城ホームステッドに到着すると、見事な富士山の眺望が出迎えてくれました。ここでは、麓から運搬してくるようですが、天城温泉の湯を楽しむことができます。湧出地は東伊豆町大川字川原田で、湧出地での泉温が52.5℃の含塩化土類弱食塩泉(緩和性低張高温泉)とのことです。

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  • 伊豆の冬 富士遠望の 晴れ姿

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2008年8月 3日 (日)

草津温泉を訪ねて(日本三名湯(三名泉)又は日本三大薬泉の一つ)#2(湯もみと踊り・白根山)

 翌朝ホテルをチェックアウトした後、湯畑に戻り、「熱の湯」で「湯もみと踊りショー」を観ることにしました。次の写真はそのワンショットです。昔美人の女性が大活躍されていました。

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 「熱の湯」2階ベランダから湯畑がよく眺められました(下の写真)。右下に「お汲上げの湯枠」が観えます。花崗岩製の説明板によると次のとおりです。

 湯畑の源泉の中に、四角に組まれた木の枠が沈んでいる。この木枠の中の湯を「御汲上げの湯」と呼んでいる。八代将軍吉宗や十代将軍家治が、この湯枠の湯を樽詰にして江戸城の運ばせたことは有名である。慶長元年(1596)徳川家康が豊臣秀吉に勧められて草津の湯を、江戸城に運ばせて入浴していたことも、近年文献によって明らかになった。豊臣秀次や、家康の正室旭姫、また、前田利家公なども草津温泉に入湯している。

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 昼頃に草津温泉街を後にして志賀草津道路を登り、草津白根レストハウスの駐車場に車を停めました。早速草津白根山の湯釜(次の写真)まで登ることにしました。草津温泉で入手した「おかみさんおすすめマップ」によれば、湯釜は「世界で最も強い酸性湖。噴火を繰り返し、草木を寄せ付けない白い山肌をエメラルドグリーンの湖面が神々しい。直径300m、水深30m程」とのことです。

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 湯釜から下りて道路の反対側にある弓池を訪れました。「おかみさんおすすめマップ」によれば、弓池は「火口湖のひとつ。周囲約800mで高山植物の宝庫です。名勝蓬莱山は特に開き、水面に映る紅葉が美しい」とのことです。次の1枚目の写真は弓池と蓬莱山(左後方の岩山)です。2枚目の写真は弓池と逢の峰です。左後方の山が逢の峰で、頂上に展望台も見えます。

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 帰りの渋滞を避けるため午後早めに草津白根山を後にしました。途中「道の駅おのこ」(渋川市小野子)に寄り、産地直売の野菜等を買込みました。草津白根山から帰路約180kmのドライブでした。

  • 身を正す 荒涼たる 白根の山

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2008年8月 2日 (土)

草津温泉を訪ねて(日本三名湯(三名泉)又は日本三大薬泉の一つ)#1(湯畑・光泉寺)

 週末を使い1泊2日で草津温泉(群馬県)を訪ねました。愛車レクサスIS250で出掛けましたが、早く出発しようと思いながら少し遅くなったため、所沢ICから入った関越自動車道はすでに花園ICと本庄児玉IC付近で渋滞しておりました。渋滞を抜けると今度は渋川伊香保IC付近で交通事故があったため前橋ICからは予期せぬ大渋滞、何とか前橋ICで降りることができ、そこから一般道で草津温泉に向うことにしました。目的地の草津ホテルには午後2時過ぎに到着、約170km、5時間弱のドライブでした。

 途中東吾妻町にある名水とホタルの里・手打そばの店「あづま家」に寄り、やや遅めの昼食として天ザルそばを食しました(下の写真)。ここのそばはツナギを全く使っていないそうで、したがってそばは短く千切れておりましたが、味は良かったと思います。そして、特に嬉しかったのはそば湯がとても濃厚だったことです。身体に滋養が付いたような気がしました。ふと見回すとお会計窓口の上方に、次の狂歌が飾ってありました。

吾妻路の 行きも帰りも あずまやを
 素通りできぬ 蕎麦の味かな

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 次は宿泊した草津ホテルの正面の写真です。創業が大正2年(1913年)という歴史のあるホテルで、大きな露天風呂がある「西(さい)の河原公園」の入口に位置しております。風呂も食事もなかなかのものでした。

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 ホテルで一休みした後、早速湯畑へ向かいました。辺りに硫黄臭が漂っている草津温泉は日本武尊によって発見された、あるいは奈良時代の高僧行基によって発見されたとも言われます。日本三名湯(三名泉)又は日本三大薬泉の一つです。下の写真は湯の滝やや上方から湯畑を見上げたもので、写真中央やや左に、「湯もみと踊りショー」が開催される「熱の湯」が写っています。この週末はちょうど第63回草津温泉感謝祭に当たり、ショーは午前中だけとのことで翌日観ることにしました。湯畑にある花崗岩製の説明板によると次のとおりです。

 この湯畑は、草津温泉最大の源泉で、温泉街は、湯畑を中心に発展してきた。
 広さ約1,350平方メートル。湧出量毎分4,700リットル。温度60度(C)。泉質は酸性-アルミニウム-硫酸塩温泉(硫化水素型)である。街並は江戸時代からほとんど変っていない。湯畑の中に「将軍お汲上げの湯枠」が今も残っている。
 また湯畑から滝をなして湯の落ちる「滝の湯」があって、薬師の湯12本、不動滝3本、天狗の湯2本、樋で湯を引いて太い滝、細い滝、高い滝、低い滝の湯を落して、症状に応じて湯治に利用された。
 湯畑の周囲には「松の湯」「熱の湯」という時間湯のほか「かっけの湯」「綿の湯」など特徴のある共同浴場があった。
 湯畑に並ぶ大きな湯樋では、温泉に含まれるコロラド硫黄華(湯の花)を採集している。

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 湯畑の西には草津山光泉寺があり、その山門の間から観た湯畑全景が次の写真です。光泉寺の由緒は次のとおりです。

 今を去る1200年の昔僧行基草庵を建て薬師尊を安置されたといふ 後建久4年(1193年)源頼朝来草の際光泉寺を開基された由緒深き古刹である 真言宗にして温泉別当の格を有し境内には薬師堂 釈迦堂 不動堂 鐘楼等建つ
【本堂(アルミ寺)が落慶した昭和46年(1971年)11月現在】

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 参道の階段横にはまだ綺麗なヤマアジサイの花が咲いておりました。東京に比べると夏でも涼しいのです。また、西の河原公園通りの商店街で買い求めた、長野原町の蔵元が醸造した「草津節」と川場村の蔵元が醸造した「譽國光」という2種類の日本酒はいずれも美味でした。

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  • 硫黄の湯 かおりも高く 効き目あり 

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2008年3月 2日 (日)

早春の房総半島#4(小湊山誕生寺・鯛の浦・妙の浦)

 野島崎を後にして日蓮聖人生誕の地、旧天津小湊町(現鴨川市)に向かいました。南房総市と鴨川市の境は山が海に迫っていて急にトンネルが多くなります。ここからは外房黒潮ラインを走る訳ですが、御宿町まではたびたびトンネルを通ることになりました。浅田次郎著「天国までの百マイル」で有名な、鴨川市の亀田記念病院(外壁がカラフル)の横を通り過ぎ、誕生寺付近に到着しました。

 車を一番奥の誕生寺の駐車場に停め、境内を抜け小湊鯛の浦(妙の浦)遊覧船乗船場(鯛の浦会館)に向かいました。暖かい内に先に船に乗ってしまおうと考えた訳です。遊覧船に乗るとまず1222年に日蓮聖人が生まれた場所といわれている妙の浦(内浦湾の東側)へ向かいました。次の写真がその場所ですが、中央やや右側の島(小弁天島)の朱塗りの鳥居が建っているところがまさにその場所ということでした。

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 次に船は鯛の浦に少し戻り、餌を与えると鯛(主にマダイ)が浮上してくる様子をみせてくれる手筈になっておりました。しかし、いくら餌をまこうと鯛の姿は一向に見えませんでした。カモメが沢山飛んできて鯛の餌を横取りするばかりでした。船の従業員の説明によれば、やや日が陰り水温が下がったためとのことです。すぐ前の出航まで見えていたそうですから、不運でした。

 マダイは通常深さ30~150m位の海中に生息している近海魚ですが、深さ10~30mの浅海の鯛の浦に生息し人の与える餌を浮上してよく食べるのは、他では見られない現象とのことです。日蓮聖人が誕生した古来殺生禁断の地ということで、そのことに関連付けられている聖なる現象とされております。次の写真は、次の鯛の浦遊覧船が我々の船とすれ違い、妙の浦に向かっているところです。

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 遊覧船から降りてさすがにお腹が空いたということで、遊覧船乗場(鯛の浦会館)のすぐ横で誕生寺参道のすぐ前にある広瀬屋さんに入店しました。ここでは、キンメダイ(金目鯛)の煮付けを食しました。ふっくらとしていて、また脂が適当にのっていて、とても美味しく感じました。伊豆稲取(東伊豆町)のものに引けを取りませんでした。

 そして正式に小湊山誕生寺(日蓮宗)に参詣することにしました。参道に再び入ると、軒を連ねている売店のおばさんから声をかけられました。「あんたさっきも通ったね。田村亮みたいだから…」と言われました。若い人は分からないかもしれません。ロンドンブーツ1号2号の田村亮ではなく、俳優の田村亮です。昔の映画俳優の板東妻三郎(歿)の子供達で、高廣(歿)、正和そして亮の俳優三兄弟としてよく知られている役者の一人です。ちょっと寒いのでハンティング帽をかぶっていたので、余計似ていたのかも知れません。

 次の写真は誕生寺仁王門です。建立後約300年たっており、誕生寺では一番古い建物だそうです。

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 さて、誕生寺に関する解説板から年表を若干まとめると次のようになります。

  • 1222年(鎌倉時代) 日蓮聖人誕生
  • 1276年(建治2年) 日蓮聖人誕生の地(妙の浦付近の祓崎(はらいざき)南端)に小湊山誕生寺開山
  • 1498年(明応7年) 大地震大津波により流失し、現在の地に移動
  • 1703年(元禄16年) 房総沖震源の大地震大津波で再度流失したが、水戸徳川家の帰依により再興
  • 1758年(宝暦8年) 大火により仁王門以外の七堂伽藍を消失
  • 1842年(天保13年) 雨落十八間四面総欅造りの大祖師堂が完成

 これを見ると房総半島でもいかに何度も大地震が起きているかがよく分かります。大地震の備えは必須ですね。次の写真は祖師堂を左斜め前方から撮ったものです。

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 祖師堂の右前方にはかわいい日蓮上人御幼像(次の写真)がありました。

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 祖師堂の右側に回ると、何と河津桜が八分咲きになっておりました(次の写真)。

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 夕方誕生寺を後にし外房黒潮ラインをさらに北上して、ついに九十九里ビーチラインに入り白子町に到着しました。白子町では約400本の河津桜が植えられており、桜祭りの最中だという話を聞いていました。しかし、桜祭りの会場には誰もおらず、河津桜をよく観るとまだ開花前でした。今年はやはり厳冬のため相当に開花が遅れているようです。

 仕方がないので帰宅することとし、白子ICから九十九里有料道路に入り、東金九十九里有料道路、千葉東金道路、京葉道路、東京湾岸道路、そしてレインポーブリッジを通り、首都高に合流しました。千葉東JCT付近で若干渋滞していましたが、他は大体スムーズで湾岸幕張PAでの休憩時間を除けば、約2時間半のドライブでした。

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2008年3月 1日 (土)

早春の房総半島#2(南房パラダイス・平砂浦の夕日)

 洲崎から房総フラワーラインを経由して南房パラダイス(館山市)へ向かいました。ここはシンガポール国立植物園と姉妹提携した観光動植物園で、14.5万㎡の広い敷地に温室が沢山あり、約5,000種の植物を栽培しています。次は入口付近から撮影した展望塔です。並木はオキナヤシモドキ(別名:ワシントンヤシモドキ)で、耐寒性の強いヤシのようです。

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 次の写真は展望塔から洲崎方向を撮ったものです。正面の砂浜が平砂浦(へいさうら)海岸です。

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 シンガポールらん館ではマーライオン(Merlion:次の写真の中央)がファノレシプス(コチョウラン:左後方の紅白のラン)とオンシジウム(オンシジューム:右手前の黄色のラン)に囲まれていました。マーライオンの解説板は次のように説明しておりました。

 マーライオンは、シンガポールの象徴です。下半身の魚は、昔シンガポールがテマセク(海の町の意)と呼ばれていたことを象徴しています。頭のライオンは、13世紀にニラ・ウタマ王子がシンガポールに上陸したとき、奇妙な動物を目撃しその動物をライオンと思い込み、それに因んでこの地をシンガプーラ(ライオンの街の意)と改名させたという伝説に由来しています。この像は、シンガポール政府観光局の許可を得てシンガポールにおいて製作されたものです。

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 次は種々のカトレアのコレクションです。

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 大温室群の途中に池があり、白鳥と黒鳥と鴨達が遊んでいました。

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 温室の中で不思議な植物(次の写真)を見付けました。ノランテア・ギアネンシスというギアナ原産の樹です。解説によれば次のとおりです。

常緑のつる性低木で、根が他の植物に付着する着生植物です。花は紫色で小さく目立ちませんが、蜜腺がオレンジ色の袋状に肥大し、花穂から垂れ下がり美しい穂の形になっています。

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 この日はたてやま平砂浦温泉(館山市)のホテルに宿泊し、温泉そして魚介類と肉野菜の炭火焼を堪能しました。次の写真は、ホテルの部屋のベランダから観た洲崎方向の房総半島に沈む夕日です。やや左後方の島は伊豆大島です。

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  • 平砂浦 朝日夕日に うまいもの

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早春の房総半島#1(東京湾アクアライン・崖の観音・洲埼灯台)

 3月の声を聞いてすぐの週末、早春の房総半島を愛車レクサスIS250で駆けてみました。まずは東京から房総半島に入るために東京湾アクアラインに向かいました。高井戸ICから首都高に乗り、レインボーブリッジと東京湾岸道路を経て、川崎浮島JCT(神奈川県)からアクアトンネルに入りました。出発から1時間半程度で人工島の海ほたるパーキングエリア(千葉県木更津市)に到着しました。アクアラインは1997年12月に開通したので、ちょうど開業10周年のようです。通行料金は、ETC割引で普通車片道が2,320円でした。1.5兆円に近い建設費が投じられた、全長15.1kmの自動車専用道としては高くはないかなという感じです。しかも、交通量はとても少なく、貸切道路のような雰囲気ですからなおさらです。海ほたるを中心にして、川崎まではアクアトンネルで全長約9.5km、木更津まではアクアブリッジ(橋)で全長約4.4kmあるそうです。トンネルの中心部には換気のための人工島「風の塔(川崎人工島)」があります。次の写真は、1枚目が海ほたる5階の展望デッキから川崎側を撮影したもので、2枚目が木更津側を撮影したものです。1枚目の写真の左側水平線上に風の塔がかすかに観えますが、これが東京ドームと同じ大きさだとは思えませんね。それにしても、3月とはいえ全くの海の上、風がとてもとても冷たかったです。

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 海ほたるを出発し千葉県に入り館山自動車道を走りました。終点の富浦ICで一般道に降り、崖の観音(大福寺・館山市)に向かいました。こちらも所要時間は1時間半程度でした。アクアラインと館山道は交通量が少なかったのでオートクルーズが大活躍で、アクセルペダルを踏み続けるとパンパンになる右足の腿が張らずにすみました。崖の観音は正式には「磨崖十一面観音立像(まがいじゅういちめんかんのんりゅうぞう)」という名のようです。案内板には次のような説明がありました。

 この像は、大福寺背後の崖面中断に、石龕(せきがん・石の厨子)を作って像容を浮彫りにした磨崖仏です。像を覆う観音堂が断崖の中断に飛び出すように建てられていることから、一般に「崖の観音」とよばれ親しまれています。像高は131cmで、舟型の光背を背に、二重蓮華座の上に立っています。(中略)寺伝では、漁民の海上安全と豊漁を祈願するために作られたとされています。

 次の写真は、船形山中腹の崖に建てられた観音堂を仰ぎ観たものです。瞬間的に昨年夏に訪れた三徳山三佛寺投入堂(鳥取県三朝町)を思い出しました。この朱塗りの観音堂は東京湾の海上からよく観えるのではないかと想像されます。

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 観音堂まで階段を昇って行きましたが、扉が閉まっていたため観音様は直には拝めませんでした。次の写真は堂前の舞台から館山市街を撮影したものです。湾の向こう側に右手へ長く延びた先端は洲崎(すのさき)です。

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 次に洲崎に向かい、洲埼(すのさき)灯台(次の写真)を見学しました。駐車場から灯台まで歩く間にある民家では、寒天やところてんの原料であるテングサ(天草)を干しておりました。この灯台の内部には入れませんでしたが、灯火は海面上45.1mの高さにあり、光達距離は約34kmとのことです。解説板によれば次のとおりです。

 洲埼灯台は、東京湾入り口の東端を示す標識で、1919年(大正8年)12月15日に設置点灯されました。夜間は赤白閃互光の灯火で表示し、対岸の三浦半島にある剱埼(つるぎざき/けんざき)灯台(群閃白緑互光)とともに、東京湾に出入りする船舶に目印をして重要な役割を果たしています。

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2007年11月23日 (金)

秋の長瀞#2(寶登山神社・宝登山)

 昼食後、寶登山(ほどさん)神社に向かいました。寶登山神社は、秩父神社、三峰神社とともに秩父三社の一つであり、その御由緒は案内板によると次のとおりです。

 第12代景行天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国を平定し、御凱旋の途次、寶登山々頂で御三柱の神をお祀(まつ)り申し上げたのを以って、創始となす。登山に先立ち、尊が心身を清めた「玉の泉」は今なおご本社玉垣内に残る。登嶺の途中、山火事に遭われた時、神使の巨犬が火を消し止め、尊を頂上迄導いた。此の為古くは「火止山(ほどさん)」と称し、後に「寶登山」と改称す。此の巨犬は、大口真神(おおぐちまがみ)(御眷属(ごけんぞく))で、火防盗賊除・諸難除の霊験あらたかである。

 この御由緒によれば創立が西暦110年頃で、何と1900年も前のことなのだそうです。秩父地方には縄文時代の遺跡もあるので、太古の時代から人類が住んでいたようです。縄文時代には海面が現在より相当に高かったので、海が荒川に沿って内陸まで入り込んでいたらしいのです。長瀞も結構海岸に近く、住みやすかったのではないかと想像されます。本殿に昇る階段の前の鳥居の横に見事に紅葉したモミジがありました(次の写真)。

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 寶登山神社本殿は、弘化4年(1847年)から明治7年(1874年)にかけて再建されたそうです。唐破風の下には見事な龍の透かし彫りがあり、また軒下の透かし彫りは見事に彩色されていました(次の写真)。

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 境内にあった、素晴らしいオオモミジの黄葉です。

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 寶登山神社奥宮に参詣するため、宝登山ロープウェイで山麓駅から山頂駅へ向かいました。宝の山に登るのに、2,200mの遊歩道を歩いて登ることもできますが、ロープウェイで昇ると約5分で山頂駅に着きます。宝登山頂は標高497.1m、山頂駅横からは長瀞の街並がよく望めます(次の写真)。

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 宝登山頂付近の南斜面には、ロウバイ、ウメ(梅)、ツツジ、シャクナゲ等が植えてあり、この時季はフユザクラ(冬桜)がよく咲いておりました。次の写真は快晴の空に映えるフユザクラの花です。

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 再びロープウェイで下山した後、駐車場に戻る途中で旧新井家住宅と長瀞町郷土資料館に立ち寄りました。旧新井家住宅は、江戸時代に名主を務めた新井家の住宅を昭和50年(1975年)に長瀞町中心部から移築したもので、およそ260年前に建設されたものと考えられています。養蚕を主な生業とした、当時の生活様式がよくうかがえます。次の写真は紅葉したケヤキ(欅)の木々に囲まれた、旧新井家住宅です。

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 車での帰路は、往路と異なり、高速道路を使わずに一般道で行くことにしました。国道140号線で秩父市に入り、途中で国道299号線へと左折し、正丸トンネルを経由して飯能市へ下りました。レクサスで快適な約3時間の山道ドライブでした。

  • 宝の山 登れば何と 花の山

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